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東 浩紀 「一般意志2.0」(講談社) 2

 p74・77
 政治思想には「熟議民主主義」と呼ばれる考え方がある。民主党政権がやたらと「熟議」という言葉を使いたがる背景にはこの思想がある。政治学者の田村哲樹によれば、熟議民主主義とは「集合的意志決定の正統性の源泉を、諸個人の意志にではなく熟議の過程そのものに求め」る考え方である。熟議民主主義を支持する学者は、個人の意志を集めただけでは民主主義は生まれないと主張する。彼らは「あらかじめ決定された意志を持つ個人の集まり」という想定を問い直し、重要なのは「その意志集約の過程で一人ひとりの意志が変わっていくことだ」と主張するのである。
 しかし、情報技術革命によって経済のグローバル化が急速に進み、人々の生活がかつてなく相互依存を深め、国境が消滅してひとつの市場が全地球・全人類を覆うようになっているいま、「熟議」を重ねる代議制や政党政治ははたして有効な仕組みとして機能するのだろうか。
 p81・3
 現代社会は、たとえばグーグルのように、人々の意識的なコミュニケーションなしに膨大な人間の意志を収集し体系化する、そのような機構を現実に整備し始めている。
 ツイートにしろチェックインにしろ、コンピュータ・ネットワーク上の個々の行為は個人の意識的なものではあるが、その意識を集めた数億、数十億というデータの量は、もはや個々人の思いを超えた(純粋に統計学的な)無意識の欲望(Volonte=意志)の集積であり、そこからは意味のある、いくつものパターンの抽出が可能になる。わたしたちの望み(Volonte=意志)の統計学的集積は、わたしたち自身が話し合い、探ることがなくても、すでにつねにネットワークの中に刻まれている――わたしたちはそのような時代に生きている。
 p85
 一般意志とは、総情報記録社会とでも言うべきユビキタス社会の巨大なデータベースのことである。このデータベースは、人々の欲望の在処を二五○年前のルソーが想像もできなかったような形で浮かび上がらせている。
 p86
 むろん、このような社会は「監視社会」「プライバシー喪失社会」の到来として批判することもできる。政府や巨大企業による個人情報の搾取という観点は、決しておろそかにしてはならない。
 しかし「総情報記録社会」の台頭は、「監視」を中心軸にしては理解しきれるものではない。わたしたちが毎日目の前にしているのは、政府でも巨大企業でもない、名も知れぬ民間企業が創設した(グーグルでさえ創設以来十五年未満である)いかなる正統性も持たないサービスに、自発的に、個人情報やプライバシーを委ねてしまう、そのような奇妙な現象である。二十一世紀の市民は、どうやら前世紀までと異なるプライバシー感覚を持ち始めているようだ。もちろんこの点に関しては日本でも外国でも、政府は逆に変化の抑制に回っている。
 政府・政党にとっては、「熟議」を重ねる代議制こそ民主主義の象徴である。その熟議を重ねたはずの集合知の平均が、群集が軽い判断で個人情報やプライバシーをネットサービスに委ねてしまった集合知の平均よりも 「必ず不正確になる」 ようでは、政府・政党に対する市民・群集の無関心と不信感は広がるばかりである。