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ハナ・アーレント 「暗い時代の人々」(ちくま学芸文庫)2/2

 ●ベルトルト・ブレヒト
 p354
 第一次大戦が引き起こしたものは、政治的に言えば国民国家の没落であり、社会的には階級制度から大衆社会への変質であり、精神的にはニヒリズムの台頭である。長い間「知的な少数者の関心事」に過ぎなかったニヒリズムは、第一次大戦が終わるとともに突如として大衆現象となったのだった。
 ブレヒトの目に映ったのは、十九世紀ヨーロッパの秩序破壊のための四年間が、(ウェーバーのいう、予期せざる結果として)貴族社会だけでなく世界のすべてを「黒々と掃き清めてしまった」ことだった。 自分の幸運を信じる彼の十九世紀的自信は根元から揺らいだ。
 この嵐はヨーロッパ中の人間的な痕跡を吹き払った。そのなかには文化的目標や道徳的価値、確固とした評価基準などをふくめてこれまで固守されてきたすべてのものがあった。天と地の諸要素の純粋性、人間と動物の生命それ自体の子供じみた簡潔性以外、ヨーロッパにはなにものも残されていないとブレヒトには思われた。
 この間の 「一つの大文明の没落」 をシュテファン・ツヴァイクは名著 「昨日の世界」 のなかで、美しい嘆きを以て描く(p441)。
 国民の内面に、敗戦は巨大な崩壊をもたらした。軍隊とともに何ものかが破壊された。それは権威の無謬というものに対する信仰だった。「最後の一兵一馬の生きるかぎり」戦うと誓いながら、夜陰にまぎれて国境を逃れた皇帝によって、あの将帥・政治家たちによって破滅的なモラルハザードが起きたのだった。
 ・・・・新しい世代はもはや両親も、政治家も、教師も信じなくなった。万事荒々しい誇張をもって、古い慣習に背を向け、未来の運命を自ら手中にしようとした。娘たちは男の子と区別できぬくらい髪を短く切った。若い男たちは女性的に見えるために髯を剃った。男女とも、同性愛が、「正常な愛の形式」に対する抗議として大流行した。

 日本にこの伝統の破壊が――修復できないものとして訪れたのは、ずっと遅れて第二次大戦後、前世紀の最後の二五年であった。日本でも少数者はずっと長い間ニヒリズムに関心を持っていたが、TVという強力なメディアが急激に社会全体を浸襲した分だけ、ヨーロッパよりはるかに速く、徹底的に大衆現象化が進んだ。
 前世紀の最後の十年はさらにインターネットがそこに加わって、「目標のはっきりしない連帯感情」と「相手のはっきりしない憎悪」がTVとコンピュータの画面を支配してしまった。
 
 p358
 たしかにこの世界には、永遠の愛も、普通の誠実さえも、存在しない。存在するのはただ強烈な一瞬、すなわち人間自体よりもさらに壊れやすい情熱である。
 p365
 ブレヒトの暗示するところでは、二十世紀をもたらした偉大な人々は、人民が何を歓び、何を迷惑視するかをよく心得ていた。ふだんは優しい人民の「同情心」を「怒りの情熱」に転換させるすべを、偉大なレーニンやスターリン毛沢東は心得ていた。彼らは、人民に対してときには「良くなく」あるべきという、世界変革の古典的大家としての知恵を持っていたのだ。