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グレゴリー・ロバーツ 『シャンタラム』(新潮文庫)1/2

 養老孟司毎日新聞「2012年の三冊」に挙げていたエンタテインメント小説。インドのスラムとヨーロッパ、アラブの犯罪者世界の混沌を書いた二千ページになろうとする大作だ。二○一一年初訳の近作である。
 ヘロイン、暴力、拷問、殺人、スラムの小屋にさえ入れないストリートピープルの極貧と犯罪、生きている皮膚からカビが生えてくるようなモンスーン、故郷アフガニスタンの部族をソ連から守るために戦争に赴くボンベイマフィアの大ボス、(あらゆるストレスからの防御を担う物質である)脳内エンドルフィンが止まった状態で心が不安に襲われ、恐怖と痛みで生皮を剥がされるような状態になるヘロインの禁断症状、シバ神の幻の前で踊り狂う阿片中毒のヒンズーの聖者たち。・・・・・デカン高原の村々では二千年前からの生活がそのまま続き、・・・・ボンベイのような大都市では白人の傲岸と現地人の卑屈な面従腹背、チンピラのたかりと警察の収賄が法律を空文化している。・・・・・インドという国を書こうと思ったらこれくらいのページがいるのだろう。美人と冒険家の愛も、マフィアのボスの個人的野心も、インドという国の「宇宙的掃除・攪拌機」のまえでは、カオスの中に消えていってしまう。

 p98
 麻薬や通貨やパスポートや金やセックスの闇取引から、実体はなくとも同じく金になる、影響力そのものに関する取引にいたるまで、この国でおこなわれるビジネスは多岐にわたっている。「誠実の取引」という、賄賂と情実を交換し合うこの最後の商売は、インドにおける非公式の制度であり、人々はその制度を大いに活用することで、地位や昇進を確実なものにし、契約を円滑に成立させている。
 p100
 実際のところ、腐敗していない国などどこにもない。金に影響されていない国など、どこにも存在しない。世界中のどの国でも、金持ちのほうが貧乏人よりも長生きするというのも事実だ。インドでもそれは同じだ。 しかし不誠実な賄賂と誠実な賄賂は違う。 不誠実な賄賂はどの国でも同じだが、誠実な賄賂が存在するのはインドだけだ、フランス人の何でも屋は真顔でそう言った――。それを聞きながら私は、ヘロインの中に理想を見失った革命家であり、犯罪の中に誠実さをなくした哲学者であり、重警備の刑務所の中で魂を消滅させた詩人である私は、苦笑せざるを得なかった。そのあと私はボンベイ・マフィアの一員になり、銃の密売人として、密輸業者として、偽造者として働き、結果として三つの大陸で投獄され、殴られ、刺され、飢えに苦しめられることになる。
 p157
 汗染みのついたコットンのヴェストを着た男が衣をつけた食べ物を皿の中の煮えたぎる油で揚げている屋台があった。石油ストーブの不気味な青い炎が唯一のあかりで、そのあかりが照らす男の眼には、おなじことを繰り返すだけの実入りの悪い仕事を写す強い苦悩が宿っていた。押し殺された鈍い怒りがそこにはあった。私が近づくと、男は私のほうに顔を向け、その刹那、青く照らされた男の怒りが全面的に私に向けられた。
 インド人というのは眼で叫べる人々である。路地裏のその揚げ物屋の男はそんな“叫ぶ眼”で私を睨み、私を立ち止まらせた。だから私も、ヒンディーができないので、眼で訴えた。 「すまない。あんたがそんな仕事をしなきゃいけないなんて。あんたの世界が、あんたの人生が、こんなにも熱くて、暗くて、誰の記憶にも残らないものだなんて。すまない。」
 p171
 もし奴隷市場に売られなかったら、子供たちは死んでいただろう。旱魃で、地震で、洪水で、そのほかのインドの惨たらしい自然によって。 飢えに苦しめられ、すでに自分の子供の何人かが死んでいくのを見てきた親たちは、奴隷商人が来てくれたことに感謝し、ひざまずいて彼らの足に触れ、息子か娘を買ってくれと懇願するという。買われた子供たちはむしろ幸運だったのだ。 奴隷市場に来ることができたのは百人かそれ以上に一人しかいないのだから。 残りの子供たちは言語に絶する飢えに苦しめられ、死んでいく。
 真実を知ることと引き替えに私たちの心が支払う代償は、愛を知ることと引き替えに支払う代償同様、ときに耐え難いほど大きなものとなる。真実を知ったからといって、必ずしもこの世を愛するようになるとはかぎらない。それでも、少なくともこの世を憎まないようにはなる。
 p556-7
 インドの運転手は、客の眼にしろ笑顔にしろ、下手くそなヒンディー語の話し方にしろ、気に入るとすぐさまその客とは切っても切れない関係ができたかのような態度を示す。進んで客の役に立とうともすれば、客に特段の配慮をし、自らを犠牲にさえする。気に入った客のためなら危険なことや非合法なことさえやってのける。客の告げた行き先に懸念を覚えたなら、客の無事を確かめるために客がそこから出てくるまで待ってもいる。そして、一時間後に出てきた客に完璧に無視されても、インドの運転手は幸せそうに微笑んで走り去るのだ。客の無事を確認できたことを喜びながら。