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多田富雄 『寡黙なる巨人』(集英社文庫)

 2010年に亡くなった多田富雄氏は01年の5月、左脳動脈の塞栓による脳梗塞に襲われた。右半身の麻痺と嚥下障害、発話障害の重い後遺症が残り、ベッドで寝返りもできなくなった。水や食物を呑みこもうとすれば気管に入ってしまいそうになり、脳に浮かぶ単語はほとんど一語たりとも発話できないというすさまじい状態だった。
 「寡黙なる巨人」というのは、いささか違和感を覚えるタイトルだった。多田氏が自分で言うとおり免疫学者として世界的な業績を残し、日の当たるところを歩き続けてきた巨人だったからだ。
 多田氏は医学、生理学、分子生物学、文学、哲学そして能楽といった幅広い分野の一流の人物と多くのレベルの高い対談を行っているが、氏自身は決して多弁な人ではない。その場の対話の核となる言葉をゆっくりと的確にのべて、対話が冗漫になるのを防ぎ、相手の話を生かしながらディアレクティークの高みに上っていくのをリードする力を持った人だった。だからその多田氏が病に倒れ、喋れなくなった自分を「寡黙なる巨人」と名付けたのではないか、しかし自分のことを巨人と称するのはいかがなものか、と私は邪推してしまったのだった。
 もちろんそれは私の考え違いだった。リハビリ治療開始後しばらくして、ある夜、麻痺している多田氏の右足の親指がピクリと動いたことがあった。翌朝になると右足の親指は再び動かなくなっていたのだが、その「右足の親指がピクリと動いた」記憶が、多田氏の脳内になにものかを文字どおりピクリと動かしていた。
 多田氏は世界的な免疫学者だから、手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して元に戻ることがないくらいのことはよく理解していた。普通の意味で回復などはあり得ない。神経の再生医学はまだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。
 本書44−5ページで、その「体内の巨人」のいわれを感動的に叙述している。

 昨夜の、右足の親指がピクリと動いたことは元通りに神経が再生したからではない。それは何かが新たに作り出されたからだ。私の足が一歩を踏み出せる日が来たとしたら、それは麻痺した私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かをつかんだとしたら、それは病前の私ではない何ものかがつかむのだ・・・・・・
 私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った。得体のしれない何かが生まれている。もしそうだとしたら、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱弱しく鈍重だが、(そして一言もしゃべれないが)彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたままで沈黙している巨人のように思われた。

 養老孟司が「解説」を書いている。東大医学部で、多田氏は養老氏の少し先輩である。文科省の役人みたいな議事が「粛々と」進められる教授会が二人ともいやでたまらなかったらしい。養老氏が本を何冊も教授会に持参して読んでいたのを多田氏はよく知っており、教授会が終わったあと多田氏の研究室でその話をしてふたりで苦笑していたらしい。そのとき多田氏はよく酒を出してくれたとか。養老孟司はさすがに飲むことはなかったということだが。