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岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)3/8

 精神病とは何よりもまず、彼を取り巻く人々の共同幻想に同意できない病である
 P62−3
 精神病者は、自分の私的幻想のほとんどを共同化できなかった者である。彼は、自分の住む社会の共同幻想をいったんは外面的に受け入れるかもしれないが、それは彼自身の詩的幻想と何の内面的つながりもないものであり、彼はそこに彼自身の私的幻想の共同化を見ることができない。また彼は、彼と同じくその私的幻想を共同化し得なかった人たちと組んで別の共同幻想をつくるということもできない。それができれば彼は、成功するにせよ失敗するにせよ、革命家となるだろう。
 彼の私的幻想は、彼ひとりの自閉的世界の中で増殖し、一応適応しているいつわりの外面をついに突き破って躍り出てくる。はたから見れば、それが発狂である。発狂は、ある意味で、私的幻想の、失敗した共同化の試みであると言える。彼の私的幻想が妄想と呼ばれるのは、他の誰一人としてそこにひとかけらの共同性をも見なかったからである。一般の人々が精神病者を気味悪がり、閉じ込めておこうとするのは、彼が危険だからというより、一般の人々があまりにも当然のことと信じている共同幻想をまるっきり無視しているものを彼のうちに見、彼らの共同幻想が実は幻想ではないかとの疑いを起こさせるからである。
 革命家だって、彼が反逆している共同幻想を部分的には是認しており、犯罪者だって、共同幻想のなんらかの側面に違反したというだけであって、それを全面的に否定しているわけではない。その意味において精神病者は革命家や犯罪者とは別種の脅威を共同幻想に与えるのだ。人々が、彼の私的幻想を何の意味も根拠もない妄想として無視するのは、その意味について考えるのが恐ろしいからである。
 彼の妄想は、その社会の共同幻想から排除されている私的幻想の実体を最も露骨な、もっとも純粋な形で示しているのである。彼が「狂っている」のは共同幻想、いいかえれば疑似現実、社会的現実に関してであって、本来の自然的現実に関してではない。彼が、窓ガラスを金づちでたたけばわれるとか、マッチをすれば火がつくという現実を誤認することはない。無知な者が精神病者のふりをしようとしてばれるのは、たとえば馬の絵を描いて足を七本つけたりして、物理的現実の誤認を演じて見せるからである。精神病が何よりもまず共同幻想との関係における病であることはこのことからもわかる。