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円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)3/9

 巻五
 明石の君との間にできた姫君は、将来東宮御所に入内するために源氏と紫の上夫婦の養女となっている。実母である明石の君は文学、絵物語の方面にも才能があるので、当時の継子いじめの代表作だった『住吉物語』などを、表紙に趣向を凝らしたり挿絵を新しくして、娘のもとに届け、読ませたり書き写させたりしている。教養ある女房や姫君が何十人といて、評判になっているいろいろな物語の書写にいそしんでいた事実こそ、1000年後のいまも数多くの物語の写本が存在する理由だろう。
 『蛍』
 p23
 源氏は、あちらにもこちらにもこのような(『源氏』の種本になったような)物語が散らばっているのがお目にとまるので、「ああ、うっとうしいことだ。女というものは、よく面倒がりもせず、こんなものを夢中になって読んだり写したりするものだ。まるで人に騙されようとして世に生まれてきたと見える。こういうたくさんの物語の中にはありのままの事はごくわずかであろうに、一方ではそれと知りつつ、こうしたつまらないことに心をとられ、たぶらかされて、暑苦しい五月雨時に、髪の乱れもかまわずに書き写していられることだ」とおっしゃって、お笑いになる。とは言いながら、
 「もっとも、こういう古物語でもなければ、どうにも紛らわしようのないこのつれづれを、何で慰められようか。作り物語のなかにも、ほんとうにそうもあろうか、と人情の機微を穿ち、もっともらしく語りつづけてあるものは、とりとめもないことと知りながら、わけもなく心が動いて、美しい姫君などが物思いに沈んでいるのを見ると、なんとなく心が惹かれるものです。・・・・・近頃、幼い姫が女房などにときおり物語を読ませるのを立ち聞きすると、話のうまい者がこの世にはいるものだとしみじみ思いますよ。こういう物語は嘘を言い馴れた人の口から出るのだろうと思うが、そうとも限らないかな・・・」と、目をつけた女君に対する自分の巧言は棚に上げたような批評をする。
 聡明な明石の姫君のこの批評に対する皮肉がおもしろい。「おっしゃるように、嘘を言い馴れた方は、いろいろとそのようにご推量にもなるのでございましょう。私などは、ただただ本当のこととおもわれるばかりでございます。」

 このときの光源氏藤壺中宮との不義の子を帝位につけて自分は太政大臣に登りつめ、宏大な六条の邸宅にそれまでの女をすべて集めて世話をするというまさに絶頂期にある英雄である。その源氏に対して「嘘を言い馴れた方は」とは大胆な言い方である。
 言った姫君は、運に見放されていたときの自分を支えてくれた明石の君との間の実子だ。この姫君は東宮に入内することが決まっており、二代先まで源氏の栄華は約束されたも同然なのだが、考えてみれば二代先の源氏の栄華を担保するのは、この姫君の力量である。互いの繁栄の行く先は持ちつ持たれつ・・・、何ごとも前世の約束とこの物語で繰り返される決まり文句は、こういう事態のことを言う。
 将来を頼む姫君に「男の世界でも、女に対しても、嘘ばっかり」と皮肉を言われれば、いくら源氏でも少しどきりとする。まして源氏の教養は本格的なものである。その源氏が、世間民衆の心のあり方が凝縮されている物語を一段低い女の娯楽と見ている、と指摘されれば、ありふれた男社会の公式見解をもったいぶって断言する自分を恥じ入らざるをえない。
 源氏がつぎのように色恋沙汰以外で反省するのは珍しいことである。「せっかく気を入れていらっしゃるのに、心なく貶してしまいました。物語とは神代からこの世にあることを書き残したものだそうな。正史とされている日本紀などは、そのほんの一部分にすぎないのですね。これらの物語にこそ、人の心得になるようないっさいのことがあるのでしょう。」
 当たり前だろうが、当時の宮廷のトップエリートを取り巻く高級女官たちは、男が書いた漢文による正史のご都合主義をちゃんと見抜いていたのである。