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J・アーヴィング 『ホテル・ニューハンプシャー』(新潮文庫)

 サラバ!』を書いた西加奈子が絶賛していた現代アメリカ小説(発行は1981年)。おかしな人物がいっぱい登場する『サラバ!』が――日本の小説には珍しい大きなスケールを持ちながら――基本的には家族の成長物語であったように、『ホテル・ニューハンプシャー』も、頻発する高校生のレイプ事件や姉弟間の性愛という深刻な問題は登場しても、やはりいかにもアメリカ的な――TVなどでおなじみのと言ってもいい――家族の成長物語である。
 登場人物である心優しいドイツ人女性テロリストがそのことを軽い軽蔑を込めて言う。
アメリカ文学が世界のほかの文学と違うたった一つの要素はね、何というか、論理を超えた目のくらむような希望にあふれているってことね。技法的には完全に洗練されているかもしれないけど、思想的にはいぜんとしてナイーブだわ。」(p148)
 その50ページほど後で、語り手の「ぼく」の愛する姉が冷酷な男性テロリストのセックスの餌食になりそうになる。それで「ぼく」が泣き出しそうになったとき、いつも夢想しているような表情の父親がドラマのような常套句を連発して「ぼく」を元気づけようとする。「人間というのはすばらしいものだ――どんなことでも折り合って暮らしていけるようになる。われわれが何かを失ってもそこから立ち直って強くなれないのだったら、そしてまた、なくて淋しく思っているものや、ほしいけれど手に入れられないものがあっても、めげずに強くなれないのだったら、われわれはお世辞にも強い人間とは言えないのじゃないかね。それ以外にわれわれ人間を強くするものがあるかね?」(p198)
 冷酷なドイツ人男性テロリストに言わせれば、 「アメリカ人の<家族>というのは、アメリカ人が溺愛してやまないものなのだ。スポーツのヒーローや映画スターにとことん夢中になるのと同じように、家族にはとことん入れあげる。不健康な食べ物にどんな注意も惜しまないように、<家族>に対しても惜しみなく注意を注ぐ。アメリカ人は家族という概念にいかれているとしか言いようがないよ。」(p224)

 『ホテル・ニューハンプシャー』にはスーパータフガイなどは登場しない。西部劇の「わけ知り保安官」のような嫌味なセリフも一切ない。その意味では安心して読めるだが、ただ、「ヒーロー」という単語が頻出する。「アメリカ人は家族という概念にいかれている」と自ら認識しつつも、「ヒーロー」に象徴される思考法の因習だけは逃れられないのだろう。1985年に招かれて来日した著者J・アーヴィングは朝日新聞社主催の国際シンポジウム「女は世界をどう変えるか」で、「今日の社会でフェミニズム以上に可能性を持つ概念はあるだろうか」という、男社会の人間に言わせれば、恐るべき発言をしたらしい。
 そういえばヒラリー・クリントンが勝てば、アメリカ、イギリス、ドイツのトップはすべて女である。内田樹上野千鶴子より世の中を見通せていなかったということだ、ろうか?