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オルハン・パムク 「白い城」(藤原書店)

 トルコに、西欧の「知」が生まれようとするときの物語である。
 p69
 十七世紀、その細密画はわれわれを満足されるには程遠い代物だった。「まったくもって昔のままだ」と師は言った。「万物は立体的に捉えられ、真の影を持つべきであるのに。そこらの蟻でさえ、まるで背中に双子でも背負っているかのようにえっちらおっちらと自分の影を運んでいる始末だ。」
 西欧ではダ・ヴィンチが遠近法を確立し、ニュートン微積分と引力の法則を発見していた。ギリシャを境に東西の差はどんどん広がり始めていた。ウェーバーを丸呑みすれば、冒険型資本主義や商人的資本主義、あるいは戦争・政治・行政がかかわる資本主義は世界のどの地域でも発展していたが、合理的組織をもつ市民的・経営資本主義が発生したのは西欧においてのみであった。
 西欧の資本主義は、科学の特性によって、とりわけ数学と実験により精密に基礎づけられた自然科学の特性によって規定されているといえる。そして、その科学に立脚した技術は、それが経済的に利用できるときには報酬が得られることによって決定的な刺激を受けたし、現在も受けている。西欧において科学と資本主義は市民全体を巻き込んだ互恵関係にあり続けたのである。

 p81
 トルコ人の「師」は、その内奥に巣食った憂鬱をはじめて言葉にするかのように、「なぜわたしはわたしなのだろうか?」と口にした。私は、「故郷イタリアでは、その問いはみんなが毎日のように自問しているのだ」と答えた。彼は驚愕に目を見開いた。「異教徒たちは、この問いをすでに発したというのか?」と言い、たちまち機嫌を損ねた。
 p225
 イスラムの人にとっては、精神の内奥を探索し、自己について延々と思考を重ねるという行為は人を不幸にするだけなのだ。この世で驚異を探すべき場所は、われわれ自身の中では決してない。
 それに対して西洋人の私は、ときとともに「師」の老いた手足が虫のようにぶざまに揺れ動くのに慣れ、自分の知性の前にそそり立つ絶壁にこだましては消えて行った「師」の数々の思考を思い出した。それは、「師」の艶を失った頭髪を、醜く歪んだ口を思い出すことだったが、じつはそのことは、筆を握るかつての「師」の桃色の掌を知覚するように、そのとき彼の中にもあると誤解していた「西洋人」を愛したのだ。イタリア人の私とトルコ人の「師」は人間としてほとんど理解不能なほど遠いのに気付いたのは、ずいぶん後年のことだった。