神経症は古代からあったが、分裂病が「発見」されたのは19世紀、産業革命以降である。すくなくとも西欧の「正統精神医学」によって、精神分裂状態が「病気」として存在することがあると認められたのはたかだか19世紀末のことである。しかし筆者によれば、精神分裂病はそれほど新しい病気ではない。古代狩猟民族も、毒草などで引き起こされる幻覚状態があることを知っていた形跡がある。そのことはわが国の縄文後期の仮面土器で知られており、この憑依状態は巫術を行う階層に意識的に採用されていたようだ。
p227−31
公衆が精神医学書を読むことも19世紀に始まっている。それは決してフロイトを俟ってのことではなかった。19世紀の西欧の大作家たちは、しばしば精神病院の見学や精神科医の講義から霊感をえていた。19世紀の大作家たち自身が、バルザックも、フローベールも、プルーストも、マラルメも、ヴァレリーも精神分裂気質親和者であった。
・・・・・、西欧は、産業革命以来、非西欧にとって、何よりもまず、西欧を中心とする資本主義経済とその文明に全世界を強制加入させる強大な力であったし、今日なおあり続けている。この加入強制力が西欧文明を人類史上最も特異な現象にしている。
産業革命は、児童の過酷な労働など自国民の搾取を以てはじまり、非西欧民族の搾取において極まった。インドにおいては職工の右肱を切断することさえ行って、その地のマニュファクチュア生産力を壊滅させた。西欧の倫理が、(ウェーバーの言う)勤勉の倫理から端的な支配の倫理に変化したのも、資本の論理の要請するところであった。
この倫理は、(キリスト教宣教と並行しつつ)白人を神の負託を受けたものとし、“原住民”が彼らを神と呼ぶのをしばしば拒まなかった。彼らの表層意識は、彼らだけが理性を持ち、自我を持つ存在であると確信したからである。この時期が、表層意識と深層意識の深刻な乖離=分裂病が「発見」された時期と重なるのは偶然ではない。
(日本における)執着気質的神経障害の背景
p71−2
ウェーバーによれば、ヨーロッパにおいて、現世的快楽のプロテスタント的な禁欲にもとづく資本主義的な精神が成立したことそれ自体が、「純粋に宗教的な熱狂がすでに頂上を通り過ぎ、神の国を求める激情がしだいに冷静な職業道徳にまで解体しはじめ、宗教的基盤が徐々に生命を失って(勤勉による資産増大に大いなる熱情を示したベンジャミン・フランクリンのような)功利的現世主義がこれに代わるようになったこと」を示している。つまり、この(フランクリンのような)禁欲的で執着気質的な資本主義精神は、過渡期的な職業倫理、良心の源泉としての「父なる神」が死滅してゆく中間段階に特有の職業倫理であるといえよう。・・・・・・・・・・・・。
ドイツや日本では、資本主義の後発国であったから、このような禁欲的で執着気質的な勤勉の資本主義精神が最近まで温存されたのかもしれない。
とくに日本にあっては、明治以降の天皇制は、武士の禁欲の倫理を前景に押し出すごとくに見えながら、その実は、土地にあくまで執着して何があってもそこから離れないことを第一義とする農民倫理を換骨奪胎して、「近代の職業倫理」として上から全国民に与えることに成功した。
近代の天皇制は、安心して勤勉と工夫にいそしめる保障のごときものを国民に与え続けてきたのであり、「日本的経営」とは、従業員までを資本主義精神の担い手に含めるというウェーバーの定義を現実化したものだったのである。
・・・・・・・しかしこの執着気質的職業倫理は、20世紀の後半に至って、仕事のほかに楽しみも見いだせず、趣味もない、人格が仕事によって占領されてしまった多数の、苦渋な人々を生み出してしまった。この人たちのなかには多くの「成功」した会社員がいるが、その人たちの中には晩年に至って小唄などを習い始める人がかなりある。
それは彼にとって「楽しみ」のはずなのであるが、そこには楽しみというより「せねばならない」という社会的規制が重く働いているのが実情である。またしばしば「家元」制度などの、彼が新しく遭遇する世俗的階層秩序への「茶番的な加入」も義務となることが多く、彼の後半の人生の楽しみは、自分たちの社会が作り出した世俗的・社会的規制によって、その「楽しみ」が同世代間で作り出した共同幻想であったことを思い知らされる。