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オリヴァー・サックス 「妻を帽子とまちがえた男」(早川書房)2/3

 誠実
 p159-60
 失語症患者は、まったく単語を理解できなくても相手が言っていることがわかることが頻繁にある。それは、自然な発話とは単語のみで成り立っているのではないからである。話そうとする内容のみで成り立っているのではないからである。発話は口から発せられた音にはちがいないが、それは、その人の「存在と意味すべてを発露する音」なのである。
 単語や文法構造が失語症患者に何も伝えないとしても、話されるときには必ず調子がつき、言葉をしのぐ力を持った表情がつく。この複雑かつ微妙な表情こそ、非常に奥深く多様で、単語が理解できなくなった失語症患者にも理解できるものなのだ。
 それどころか、しばしば、失語症患者の発話の表情を理解する力は、失われるのではなく並はずれて高まっていることさえある。軽薄な政治家の大向こうをねらった演説は、一般人には説得力を持つことがあっても、失語症患者には不誠実さがみえみえである。政治家の不自然な表情、芝居がかった仕草、オーバージェスチャーは彼らにとってはしばしば物笑いの種である。

 幸福感
 p203
 大脳皮質下部の「盲目的・原始的な力」が衰えているパーキンソン病患者にLドーパを処方すると、初めに描いた葉っぱのまったくない貧相な冬の木が、生き生きと元気になり葉も茂ってくる。花が満開になり唐草模様や渦巻模様で生い茂った葉が描かれる。ついにはもとの貧相な木がおびただしいバロック的な細密画の中に埋もれてしまうまでになる。
 コカインのような麻薬につきものの特殊な不安定さもこれで説明がつく。コカインはLドーパのように脳内のドーパミンを増加させる。だからこそフロイトはコカインについてあの驚くべきことを書いたのだった。「コカインによってもたらされた充足感や幸福感は、健康な人が幸せだと感じるのとなんら変わらない。つまり、その状態がきわめて普通のこととして感じられるので、やがてそれが薬のせいだとは信じられなくなる。」

 アイデンティティ
 p209
 コルサコフ症候群という、ある時期以降の記憶をすっかり喪失してしまい、現在の記憶は数秒〜数分しか覚えていられない患者が数多くいる。彼は、忘れられ失われていくものを埋め合わせるために、絶えずまわりのものや自分のことについて作り話を続ける。虚言を作ったり空想したりするみごとな力は、まさしく才能というべきだろうが、これは上のような錯乱した状態によって誘発される。
 なぜなら、健常なわれわれは、めいめい今日までの歴史、語るべき過去というものを持っていて、それらの連続体こそがその人の人生であるからだ。そうであるのに、この患者はたえず自分と身の回りの世界を作り上げていなければならないのだ。
 われわれは自分の「物語」をつくってはそれを生きている。物語こそわれわれであり、そこからわれわれ自身のアイデンティティが生じるといってもいいだろう。生物学的あるいは生理学的には、人間は誰もたいして変わらない。しかし自分自身の手で、知覚、感覚、思考を通じてたえず無意識のうちにつくられる物語としてとらえると、一人ひとりは文字どおりユニークなのである。
 p211-2
 こうした患者は、表面的には威勢のいい道化師のように見えることがある。「愉快な人だ」といわれることもある。しかしここにるのは、ある意味で精神に異常をきたし絶望した男である。まわりの世界は刻々と意味を失い、消え去っていく。彼は意味を探すか、必死で意味を作り出さねばならない。たえず話をつくり、ぽっかりと口を開けている無意味さの深淵に、意味という橋をかけなくてはならないのだ。
 しかも彼には、自己を見失ってしまった、内面世界を失ったという感覚がない。彼に接した人はみな、そのことに驚き、恐怖する。彼がいかによどみなく熱狂的に話そうと、そこには奇妙にも感情が欠けているのである。
 ひっきりなしに語られる話の中で目立つのは、彼のふしぎな独特の無関心さである。重要なことと取るに足らないこと、適切なことと見当外れのことを区別する感覚や判断力がまったく欠けているのである。