アクセス数:アクセスカウンター

ハナ・アーレント 「暗い時代の人々」(ちくま学芸文庫)1/2

 ●教皇ヨハネス二十三世
 p100
 二十世紀の只中においてこのヨハネス二十三世という人物は、彼がこれまで教えられてきた信仰の各箇条を象徴的にではなく、文字通りに受け取る決意をしていた。すなわち、打ちひしがれ、軽蔑され、無視されることを、イエスへの愛のために、心から願ったのである。
 「万一私が教皇になったとしても・・・、私は依然として神の審判の前に立たなければならないであろう。そのとき私にどれほどの価値があるだろうか、大したものではあるまい」として。
 水道配管の修繕のため鉛管工がヴァチカンにやってきて、仕事の前に、すべての聖家族の名前において誓い始めるのを聞いたとき、ヨハネスはその鉛管工にていねいに尋ねたという。「あなたはそのようにしなければならないのですか。私たちがやるようなつまらないことは、口にしてはいけないのではありませんか。」
 ●カール・ヤスパース
 p132
 ヨーロッパがきわめて真剣にその自らのルールを他のすべての大陸に適用し始めたとき、ヨーロッパ自身はすでにそれへの確信を失っていた。テクノロジーが世界を統合したのは明白な事実だが、 ヨーロッパが世界のいたるところへその解体の過程を輸出したことも、それと同じく明白な事実である。
 この解体過程は、ヨーロッパでは伝統的に受け入れられてきた形而上学的・宗教的心情の崩壊とともに始まった。そしてそれは、自然科学の壮大な発展と国民国家勝利を伴っていた。この過程が進行するには数世紀を要し、しかもそれは西欧の持続的発展のなかでのみ起きたことなのだが、世界の他の地域に輸出され始めると、かの地の信条と生活様式が解体されるにはわずか数十年しかかからなかった。
 p140
 紀元前五○○年の前後に中国では孔子老子が、インドではウパニシャッド仏陀が、ペルシアではゾロアスターが、パレスティナでは預言者が、ギリシアではホメロスと哲学者と悲劇作家があらわれている。彼らは何の関係も持たず、まさに多様でありながら独自に共通なものを持っている。すなわちこの時代こそ神話が放棄されようとされ、超越的な神の概念を持つ世界宗教の基盤が整えられようとしていた。
 哲学がいたるところで出現し、人間が全体としての存在(Being)と、他の存在とは本来的に異なるものとしての自分自身、を発見した時代である。それははじめて人間が自分自身にとって疑わしいものとなり、意識を意識し、考えることについて考え始めた時代である。

 われわれの思考におけるあらゆる基礎的なカテゴリーはこの時期に創りだされた。人類が地上における人間の条件を発見し、その結果できごとの単なる時間的継起に過ぎなかったものがそれ以降物語となり、歴史すなわち反省と理解の意味ある対象が作り出されることが可能となった時代である
 p144
 (ナポレオンやアメリカ大統領たちの)世界という大舞台における人々の行動に見られるものは、大体において馬鹿げた子供じみた虚栄や、ときには子供じみた悪意や破壊欲によって織りなされたものである。 それはただ 「人間の営みのこうした無意味な成り行きにも、自然の隠れた意図が存在すると仮定した場合にのみ」 意味を持ちうる。