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花田清輝 『復興期の精神』(講談社文芸文庫)1/3

 『復興期の精神』は鍛え抜かれた鋼鉄のような批評家花田清輝の代表作である。昭和21年の飢えと混乱の中に現われたのだが、そのときの花田は毎日が食うや食わずの状態だったようだ。もっとも貧乏は戦時中から続いていて、憲兵隊の検閲下で出版社が恐怖したこともあって花田はなにも発表できず、しばしば本当の食いっぱぐれが続いていたらしい。
 この本はそんな中で恐ろしくペダンティックな、まるきり腹の足しにならない知識てんこ盛りの連作エッセイとして登場した(池内紀・巻末解説)。自恃と自嘲と冷笑と熱情が入り乱れ、驚嘆すべきレトリックでそれらを繋いで、煮え詰まっていく・・・・・、こんな激しい評論はいま誰にも書けない。わたしが最初に読んだのは30年も前だったろうか。そのころ花田清輝はすでに鬼籍の人だった。そうとはとても思えないほどの鋭い感受性と激しい感情が読み取れた、と思ったことだけを覚えている。
 花田は当時37歳。人脈上まったくつながりはないが、小林秀雄より7歳若く、丸山真男より5歳だけ年長である。それなのに1974年に、小林より9年も早く、丸山よりは22年も早く死んでしまった。
 関係ないのかもしれないけれど、丸山はときどき小林に言及している。しかし花田は小林についてまったく述べていない。花田も小林も認識論と価値論の混同を何より嫌い、論争においていたずらに昂奮することを戒めた点、二人は似ていると思うのだが。
 本書後半の『変形譚』に、植物の「種子→芽→成体→花→枯死→種子」というゲーテの生命変成の考え方が紹介されているが、そのなかで「苛烈な栄養不足がかえって植物を精妙にする」として、自分の貧乏ぶりを笑っている一節がある。

 p233 変形譚
 植物についてのゲーテの周到な観察には屡々心を打たれるものがある。それは、植物にあまり頻繁に養分を与えるとかえって花が咲かず、ほとんど養分をやらないとかえってその器官は精妙となり、純粋無雑な液汁はますます純粋に、ますます効果あるものとなって植物全体の変成を促し、開化を早めるという叙述のごときものである。これは意外にも私の変成の近きを暗示するもので、思わず私は最近の食糧事情に感謝したいような気持になった。無意識のうちに私は変成の準備をしていたわけである。たしかに、ゲーテの植物変成論には、変成の実践に対する手がかりがある。要するに、戦争に負けて「日本の中世」が終わったのだから、我々はしばらく飢えればいいのだ。

 花田清輝の生涯のテーマは「ルネサンス」である。昭和前半の15年戦争を20歳前後から丸々経験した花田は、自身を明治以降に生きた日本のルネサンス人と考えたに違いない。35歳までの前半生を絶対天皇制という「中世」のような雰囲気の中で過ごし、それが太平洋戦争というカタストロフによって突然「近代」がうまれ、あと数十年の後半生をその日本的近代の中ですごすのだから、と。
 ヨーロッパではルター、カルヴァンコペルニクスガリレオダ・ヴィンチミケランジェロらとそれに続く技術者が100年以上をかけてローマ教皇の「中世」をまだら模様的に内部から崩していったが、日本の「中世」の崩壊は、10年前からわかっていたとはいえ、突然やってきた。このようなわずか15年で社会の価値観が、少なくともタテマエの価値観がまるっきり変成してしまう国は、世界のどこにも、多分これからもないだろう。だからこの『復興期の精神』というタイトルは、もちろん<敗戦直後の死の風景から立ち直ろうとする復興期の精神>という意味もあるが、本当のところは<中世から近代への変成期の精神>という意味に解釈するのが正しい。本書は「社会精神の変成」とはどういうことなのか、変成した社会には何が起きるのかなどについて、花田清輝は自分もそのようでありたいと考えたヨーロッパルネサンス期の「普遍人」にならって、なんら価値判断を含まずに、ひたすらレトリック(論理)だけを頼りに書き進められたものである。
 ポーをとりあげた『球面三角』という章に、ルネサンスつまり変成するあるいは再生するとはどういうことかが、いかにも花田らしい律動的な文章で書かれてある。

 p102−4
 ルネサンスは私に海鞘(ホヤ)の一種であるクラヴェリナという小動物を連想させる。この動物を水盤の中に入れ、数日間水を換えないでそのままほっておくと、それは不思議なことに次第次第に縮かみはじめる。そして、やがてそれの持つすべての複雑な器官はだんだん簡単なものになり、ついに完全な胚子的状態に達してしまう。残っているのは小さな白い不透明な球状のものだけであり、そのなかではあらゆる生命の徴候が消え去り、心臓の鼓動すら止まっている。クラヴェリアは死んだのだ、少なくとも死んでしまったように見える。
 ところがここで水を換えると、奇妙なことにこの白い球状をした残骸が徐々に展開しはじめ、漸次透明になり、構造が複雑化し、最後にはふたたび以前の健康なクラヴェリアに戻ってしまう。再生は死とともに始まり、終わったところから始まったところに向かって帰ることによって完了する。注目すべき点は、死が、自らのうちに、生を展開するに足る組織的な力を、黙々とひそめていたということだ。
 それはルネサンスの、中世から古代ギリシア・ローマへの復帰の過程において、死の観念の演じたであろう重要な役割を思わせる。当時の人間は、誰も多かれ少なかれ、自分らがどん詰まりの状態に達してしまったことを知っていたのではなかろうか。果てまで来たのだ。明るい未来というものは考えられない。ただ自滅あるのみだ、と。
 にもかかわらず、かれらはなお存在し続けたのだ。クラヴェリナのように再生したのだ。再生せざるをえない。人間的であると同時に非人間的な、あの厖大なルネサンス人の仕事の堆積は、クラヴェリナのように再生したやむにやまれぬ死からの反撃ではなかったか。