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村上春樹 『ノルウェイの森』(講談社)

 一九八七年、刊行の年に読んで以来だ。三九歳のときで、村上春樹は初めてだったと思う。大ベストセラーということで読んだのだろう。再読して、直子という主人公の恋人が(当時は精神分裂症と言われていた)統合失調症で自殺する話だということしか憶えていなかったのには、そのあまりの記憶力のひどさに、暗澹となってしまった。
 しかし物事には二面性があるもので、記憶の悪さのせいで、二回目もずいぶん楽しく読めた。前回はわからなかったが、『ノルウェイの森』は村上春樹が「徹底的に感傷的な恋愛小説を、徹底的にアホらしくない形で書いてやるぞ!」と決心して書いた、通俗大小説である。
 羊をめぐる冒険』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をたてつづけに成功させて、大作家の地位を確かなものにしつつあった村上にしてみれば、――これは「あとがき」に記していることだが――、自分の周囲で亡くなった何人かの若い友人たちの鎮魂の物語を、時代に魂を打ち抜かれた者たちの悲しい恋愛譚としてまとめることは、それほど困難な業ではなかったろう。
 この小説は、いかにも村上らしくキザっぽく、地中海のいくつかのホテルで、前半はギリシアで、途中シシリアで、後半はローマで、「ウォークマンで『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を百二十回くらい繰り返して聴きながら」書かれたそうだ。「そういう意味ではこの小説はレノン=マッカートニーに少し助けられている」と村上は同じあとがきで述べている。彼の筆力をもってすれば、死んでいった友人たちへの深い思いと、友人たちを殺した世界への心からの憎しみがあれば、それをセンチメンタルな恋の歌に仕上げるか、時代へのレジスタンスの歌に仕上げるかは、自在だったに違いない。
 執筆当時、村上の頭の中には次の長編小説(『ダンス・ダンス・ダンス』か『ねじまき鳥クロニクル』かは知らない)の構想がすでにあって、『ノルウェイの森』は「いわば気分転換にやってみよう」くらいに思っていたというから、村上にしては軽めの恋の話のほうを選んだのだろう。とはいってもあまりさらりとした恋愛小説ではなくなっていて、自分を追い込んでいく直子の統合失調症の深まりは、病気を少し知っている人であれば、一日に十分間だけ薄日が差す深井戸の底の生活のように、はてしなく暗いのだが・・・・・・。
 上巻の八八ページに一九六九年の学生運動の現場を書いた、村上にしてはめずらしい、若書きともいえる描写がある。実際その通りだったのだが、こういうふうにナマで書かれると読んでいてため息が出た。
 「僕は九月になって大学がほとんど廃墟と化していることを期待して行ってみたのだが、大学はまったくの無傷だった。図書館の本も略奪されることなく、教授室も破壊しつくされることはなく、学生課の建物も焼け落ちてはいなかった。あいつらいったい何してたんだと僕は愕然として思った。
 「ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、一番最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。・・・・・・・・・・。
 「僕は、スト決議のとき、ストに反対する学生を罵倒し、あるいは吊し上げた連中のところに行って、どうしてストを続けないで講義に出てくるのか、と訊いてみた。彼らは答えられなかった。答えられるわけがないのだ。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのだ。ここはひどい世界だと僕は思った。こういうやつらがきちんと大学の単位をとって、せっせと下劣な社会を作るんだ・・・・・・。」

 どうでもいいことを一つ。この小説にはセックスシーンが頻繁に出てくる。無理な出し方では少しもないのだが、五百万部以上という売り上げにはかなり貢献しているだろう。しかし、読者の中には、異性に全くもてないことを売りにしているような、(書いたものは世間ではたいてい相手にもされない)脳内のオートポイエーシス(生命システム)に変調をきたしている男もいる。ネットによれば、(いつも汗の臭いがしそうな)その男はこの小説を、「美人で、かならず寝てくれる自分好みの女ばかりを描いた白色テロルである」と言ったそうだ。直子が可哀そうである。