アクセス数:アクセスカウンター

リチャード・ファインマン 『ご冗談でしょう ファインマンさん』(岩波現代文庫)2/2

 リチャード・ファインマンは、トルーマンと軍部が主導しオッペンハイマーが指揮した、ロスアラモスでのマンハッタン計画に(初期のうちは下っ端の科学者として)直接参画した人である。上巻後半部の「下っ端から見たロスアラモス」の章にそのことが書かれている。この本は後年ノーベル賞を受賞し世界に名を知られたあとで書かれたものだが、核兵器の深刻な側面に触れた文章は一行もない。実物の核爆発の破壊力を、開発者の一人として間近で目撃したことについて、ずっと後年になっても次のようなことを暢気に書いているのにぼくは衝撃を受けた。
 p231
 「あのすごい爆発はいったい何です?」と僕の横に立っているジャーナリストが聞いた。
 「あれが原子爆弾だよ」と僕(ファインマン)は答えた。
・・・・・・これこそ人間の手で作られた新しい元素、おそらく地球の誕生直後の短い期間を除いては、今まで存在したことのない元素なのだ。それがここに、その特性をちゃんと持って存在しているのだ。しかも僕たちがこれを作り出したのである。だからこそ測り知れない価値があるのだ。

 リチャード・ファインマンは、知能指数のとても高い人にはよくある、能天気な、ある意味非常に危険な人間である。自分のことを「積極的無責任な男」だとしているが、それは超有名な数学者フォン・ノイマンがそれでいいからだと保証してくれたからだと、子供のようなことを言っている。
 彼は知られ始めたばかりのアスペルガー症候群だったのかもしれない。アスペルガー症候群の場合、よく勉強はできるが、情緒に発達障害があり、自分と社会の間の距離感をうまく把握できないことが多い。冒頭に書いたファインマンのユーモア(のつもり)がまったく洒落になっていないのも、この発達障害が大人になっても残ったからかもしれない。
 
 p226
 ロスアラモスには大数学者フォン・ノイマンもいた。僕たちはよく一緒に近くの自然公園を散歩したりして本当に楽しい時を過ごしたものだ。このとき、われわれが今生きている世の中に責任を持つ必要はない、という面白い考え方を僕の頭に吹き込んだのがフォン・ノイマンである。このフォン・ノイマンのおかげで、僕は「社会的無責任感」を強く感じるようになったのだ。それ以来というもの、僕はとても幸福な男になってしまった。僕のこの「社会的無責任さ」の種はフォン・ノイマンが播いたのである。

 ファインマンは新婚2年目の奥さんを、ロスアラモス近くの病院で亡くした。7か月間肺結核を病んでの末だった。ファインマンは研究所から駆けつけて、臨終にはどうにか間に合った。しかし息を引き取ったときも、ファインマンは泣かなかったと自分で言っている。初めて涙が出たのは、数か月後彼女がよくしていたのと似たペンダントを街角で見つけたときだったそうだ。
 核アレルギーが強いとされる日本でこの本が異常に売れた理由は何なのだろう。安全を行動規準にする若い人が読んで気持ちのいい本とは思わない。翻訳も稚拙とは言わないが、こなれた日本語ではない。