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岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)2/8

 吉田松陰と日本近代> 

 奇矯、過激で小児退行的な吉田松陰
 いまもエピゴーネンが生まれ続けている

 P37−43
 わたしは集団心理は個人心理と同じ方法論で解明できるとの立場に立っている。・・・・集団というもの、とくに国家という集団は、その文化、思想、道徳、制度、慣習、技術などにおいて相互に関連した統一体をなしているものだ。本来、内発的な変化ないし発展しか許さないものであって、木に竹を接ぐように、他の集団の文化なり制度なりを無理に押しつければ、集団の精神的統一は崩壊せざるを得ない。
 日本は幕末に、インドや中国と違って植民地化ないし半植民地化を免れえた。理由はいろいろ考えられるだろうが、わたしの立場からみればそれは、ひたすら外的適応にむかう外的自己と、現実離れした自己像を維持しようとする内的自己に分裂した、集団的精神分裂という高い代価を払ってのことであった。
 吉田松陰は、奈良本辰也も言うように時代の子であった。奇矯、過激で小児退行的なところも多々あった松陰はまさにこの日本の精神分裂の結果、外的自己から切り離された内的自己の立場をもっとも純粋な形で代表している思想家だった。が、彼が生き、死んだ時代がそのとき限りのものであったなら、私たちにとって問題は別にない。
 ところがもちろん、彼が生きた時代の分裂した精神状態は今も本質的に変わっていない。対米英戦争になんらの勝算なく飛び込んだように、彼が生きた時代の分裂状態が今も続いているならば、松陰のエピゴーネンは、幾たび殺され、生贄にされようとも、この日本の国に耐えることなく輩出しつづけるだろう。われわれはまだ松陰を卒業していない。松陰の問題は、依然、現代の問題である。

 松陰の有名な『幽囚録』には彼の憂国の情がきわめて直截にあらわれている。外国に屈従せざるを得ない幕府への批判が彼の中では「くやしさ」に変わり、それが欧米諸国への屈辱感の補償としての攻撃的拡張主義に転化しているところが興味深い。
 以下の主張は後の征韓論大東亜共栄圏の提唱そのものである。 「朝鮮と満州はあい連なりて神州の西北にあり、それぞれ海を隔てて近きものなり。朝鮮の如きは古時代我に臣従せしも、いまはすなわちやや驕る。最もその風致をつまびらかにして、これを古に復さざるべからざるなり」、「朝鮮を攻めて、貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、ルソンの諸島を収め、漸くに進取の勢いを示すべし」。・・・屈従する幕府とそれを激しく非難し非現実的な侵略を説く松陰の対立は、外的適応にむかう「外的自己集団」と現実離れした自己像を維持しようとする「内的自己集団」の葛藤そのままである。

 多くの同志には迷惑千万だった、松陰の
 主観主義、精神主義、非合理主義、自己中心主義

 現実感覚の不全は、外的自己から切り離された内的自己の宿命だが、松陰の思想と行動は現実感覚の不全に由来する主観主義、精神主義、非合理主義、自己中心主義の典型的な例である。松陰にとっては自己の主観的誠意だけが問題で、その誠意を持って説けば通じると本当に信じていたふしがある。同士を批判して言った「その分かれるところは僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり」という知られた言葉に示されるように、彼の「忠義」の実際的効果は眼中にない。
 これは、同じ目標をめざして革命なり改革なりをやろうとしている同志にとっては実に迷惑千万な話で、松陰が多くの同志に見捨てられ、孤立していったのは当然である。これを、松陰の純粋さ、人のよさと見る者もいるが、それは、そう見る者が松陰と同じように小児的、自己中心的であるからそう見えるにすぎない。たぶんその人自身、自分のことを純粋で人が好いと思っているのであろうが、これは自閉的自己満足以外の何物でもない。実際的効果を眼中におかないのは、おのれの無能を暗々裏に知っているので、その面で自分を評価してもらいたくないからに他ならない。