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岸田 秀 『続 ものぐさ精神分析』(中公文庫)2/2

 カネの価値を信じていることは資本家も貧乏人も同じである
 p273-81 価値について
 わたし(岸田)は本書で書いているようなことを大学の講義でもしゃべっているのだが、学生たちからときどき、「そのような考え方をしていて空しくないのか」と質問されることがある。
 一部の学生たちは、わたしの講義を聞いていると、世界がなんとなく空しくなっていき、この先生は何のために生きているのだろうか、まるで人生にはそのために生きるに値する価値などどこにもないみたいではないかと疑問に思うらしい。あるときなどは、「先生はなぜ生きているのか、なぜすぐに死なないのか」と重ねて質問してきた学生もいた。こういう質問が出る前提として、人間が生きているのは生きるに値する価値のためであって、そのような価値がないなら死んだ方がましだという考え方があると思われる。わたしはこのような考え方こそおかしいと思うのだ。
 いや、ただおかしいだけでなく、きわめてはた迷惑な考え方だと思う。はた迷惑をはた迷惑と考えない鈍感さは、福島原発や尼崎のJR脱線の事故報道で、ナントカの一つ覚えのように「尊い人命」大合唱を続けるマスコミの鈍感さと同じである。
 しかしこう言ったからとて問題は解決しないことはわかっている。問題は、人間だけが「生きるための価値」を欲しがるところにあるからだ。犬畜生は生きるための価値を求めないが、人間だけは生きているだけでは満足できず、おのれの存在の意味を問い、その価値を求める、したがって人間は犬畜生より高等であると真顔になって説く人がいるが、これこそ、新興宗教で何かをたくらむ人でなければ、人間のたわけた思い上がりである。人間だけが生きるための価値を求めるのは、犬畜生と違って人間だけがその自然的生命を十全に生きておらず、「生きる価値」なるものを発明して空しさを穴埋めしようとしているのである。これは卑怯なるふるまいであって、人間が犬畜生より高等であるどころか、逆に劣等であることを証明するものである。

 ・・・・・・前言したように、生きるための価値を求めるふるまいは、きわめてはた迷惑である。そのような価値は幻想にすぎないわけだから、心の底から納得できる確かな価値などあろうはずがない。キリスト教イスラム教であれ、ロシア共産制・アメリカ民主制であれ、ユダヤ金融家・アーリア純潔者であれ、これらはすべて人々の価値体系の対立に起因するものである。相手の迷惑を顧みず、伝道や説伏をしようとする結果今でも起きている争いごとである。資本主義が成り立っているのも、一部の「悪辣な資本家」が「愚かで弱い」民衆を金の力で支配しているのではなく、民衆も金の価値を信じているからである。
 ・・・・・ある理想の価値を信じている人は、その理想を共にしない人を軽蔑する。価値というものを信じている人々の態度が改まらない限りは、いっさいの差別の問題は解決しないに違いない。

 三島由紀夫の生活の規則正しさは、若くして精神的に死んでいたことの証明である
 p319-34 三島由紀夫
 三島由紀夫の精神ははじめから死んでいた。この現実の世界に生きているという実在感の欠如に、彼の文学その他の活動を解く鍵がある。
 彼は徹底的に人生を演技し通したという人もいるが、彼には、偽りの外面を演技することによって隠さねばならないような真実の内面があったとは思えない。彼は、死の瞬間まで、自分が何を本当に欲しているかつかんでいなかっただろう。理知的であった彼は、演技しているかのごとく演技することによって、あえてわざわざ自己韜晦しているかのごとく見せかけることによって、その背後に本当の自分が隠されていることほのめかしていたかもしれないが、そのようなものは存在していなかった。
 ・・・・・・三島由紀夫の病身の祖母は、生まれてすぐの三島を自分の枕元から離さなかった。母の倭文重は毎夜正確に四時間ごとに、二階の寝室から授乳のために降りてゆかねばならなかった。祖母はそのようにも自己中心的で支配欲の強い女性だったが、視点を移せば三島の両親は幼い息子を見捨てて祖母に育児を任せきりにしたとも言える。倭文重は「祖母の支配欲が公威の暗い一生の運命を決めてしまったと」と後に言っているが、自分の育児責任については触れていない。

 そのような悪条件の中で三島は育てられた。もちろん父もときには祖母と喧嘩し、母も祖母のすきを見て彼を連れ出し、手元に置こうと努力しているが、結局は祖母の意志に屈している。こういう状態のもとでは三島が祖母を喜ばせることは父母を寂しがらせることであり、父母の意に沿うことは祖母を怒らせることであった。逆に言えば、祖母にそむけば父母が喜び、父母にそむけば祖母が喜んだ。
 すなわち、未熟な意識の下に抑圧されたものを足場として幼い三島は反抗し、その反抗を通じて自己を築いていこうとする機会がことごとく失われた。つまり三島由紀夫は、彼を愛しておらず、ただ彼に愛されることを求めているそれぞれ対立している三人の大人に囲まれて育った子供だった。このような条件のもとでは、いわゆる健常な精神は成長しようがない。

 ・・・・・・彼が精神的には死んでいたことを示す兆候はたくさんある。たとえばあの規則正しい生活、約束固さである。彼の約束固さは決して誠実さの表現ではない。自発的な感情や規制のきいた欲望が欠けているので、そうしたものにもとづいて行動することができず、観念的に決定したなんらかの規則にすがらざるを得ない。規則をちょっとでも崩せばすべてが崩れてしまうのである。三島は、ちょっとした約束違反をした友人や編集者にじつにあっさりと絶交を申しわたしているが、普通なら、腹は立てても絶交などたやすくはできないものである。
 ・・・・・・彼がボディビルによって隆々たる筋肉を人工栽培(三島自身の用語)する気になったことも、これと無縁のことではない。自分の肉体に実在感を与えようとしたのだろうが、筋肉が持ちえたのは重量感であって実在感ではなく、もちろん三島はそのことをよく分かっていたに違いない。要するに三島由紀夫の人格構造は、神経症者というよりは精神病者のそれに近い。発狂したとしても少しも不思議ではない人格構造である。
 しかし三島由紀夫は、その割腹の瞬間にいたるまで、発狂していたのではなかった。精神病的人格構造を持っていながら発狂せずにすんだのは、彼が優れた書き手だったからである。彼が高い理知の力によって、散乱して行ってしまいそうな諸傾向を、作品という、確かに虚構の、非現実の世界ではあるが、間違いなく自分が作り上げた世界にまとめ上げることができ、幼少期から脅かされ続けてきた自己の同一性を守ることができたからである。

 ・・・・・・三島由紀夫のような作家には、いくつかの傑作をものにし、功成り名遂げて、いまや筆を擱き、悠々自適の老後を送るといったことは考えられないだろう。書くことをやめたときは、精神の崩壊が露呈し、発狂するほかないからである。最後に彼は、反時代的、自己破壊的な天皇崇拝に自分の存在の根拠を見出そうとし、それを自他に証明するために自衛隊に殴り込んで割腹自殺をとげた。それは実在感を持たない彼の人生が、割腹の苦痛にまさる苦痛であったことを証明する。