アクセス数:アクセスカウンター

池澤夏樹 『すばらしい新世界』

 ネパールの奥地にあるナムリンという2、30戸の小さな農村。そこに日本人技術者が数キロワットの小規模風力発電設備を作りに出かけるという物語。日本の家族論とそれを大きく包む日本的資本主義論にもほんの少し触れている。

 ヒマラヤ大山脈のふもとにあるナムリン村一帯はインドと中国を結ぶ古代からの通商路のそばにあって、ネパール王国内で特別に自治を認められた地域になっている。住民はそこの通商税の利益と、段々畑で自給できる農作物でネパールらしいおだやかな生活を営んでいた。チベット仏教が篤く信仰されており、小さな寺院もたくさんあって、どの寺院もすばらしい仏画が内壁を埋め尽くしている。千年も前に高僧が埋め、名前だけが知られている「埋蔵経」がいまだに未発見で数多く埋められているという噂をときどき聞く。
 しかし数十年前に雪解け水の洪水が起こって、村の畑をうるおす川の流れが下の方に移ってしまい、先祖代々手入れを続けてきた段々畑に水を入れることができなくなってしまった。畑をもとの状態に戻すには、下を流れる川の水をポンプでくみ上げるしか方法がない。ポンプを動かすには電気しかない。

 主人公・天野林太郎は日本有数の重電メーカーの大型風車部門で働く技術者。少し変わったところはあるが、子供を愛し、妻の言うことによく耳を傾ける、ごくごく実直な会社人間である。妻アユミは環境問題に積極的に取り組むNGOのメンバー。
 その天野の妻のところに、ネパールの日本人ボランティア組織がナムリンで小さな発電設備を欲しがっているという情報が彼女の友人から入る。妻は夫にこの話をする。夫は仕事のできる課長に話をする。そのようにして「ナムリン超小型風力発電計画」が重電メーカーの実験的プロジェクトとして動き始める。
 700ページ超の長編だから、たくさんのことが起きる。作者は日本では屈指のストーリーテラーだからプロットは完全だし、起きる事件も硬軟いろいろあって、とても面白く読める。エンディング近くでは新しい埋蔵経が発見され、チベット問題を苦々しく思う中国にそれを知られては大変だということで、主人公がインド経由でダライラマ14世に届けるという冒険談のおまけまでついている。

 ブログを書く僕は、鼻につくことをいろいろ林太郎に喋る妻のアユミさんを個人的には好きになれないが、まあカンケイない。前半P73付近で、アユミさんは自己批判と自己弁護をよく眠れない夜などにひとりごとでつぶやいている。 「私が環境情報連絡会議で専従職員をしていられるのは、林太郎が大企業にいるおかげだというのは否めない。絶対安全の身分だし、年収は十分だし、別に出世なんかしなくても不満はない。
 でもそれが私にとっては矛盾でもあったのよ。一方で原発にまで関わっている会社からの収入で働きながら、私が環境運動をするというのが。だから、多くはなくても、専従職員としての私の給料は大事だった。名目として大事だった。わたしの仕事は奥様の道楽ではなかった(と少なくとも私は思いたい)。
 「でも、もっと進んで言わせてもらえば、奥様の道楽だって何だって、こういう運動にたくさんの人が加わるのはいいことよ。何しろ企業の力は圧倒的なんだから。あの、レーニンの話、知ってるでしょ? 資本家のお金で革命運動をやってもいいのかという問いに対して、この国には資本家のものでない金は一銭もないとレーニンは言ったという。
「でも、レーニンは個人としてはともかく、経済システムとしての社会主義はダメだった。(他人の行動をすべて予測するなんてのは、)人間にはしょせん無理な理想だった。だから(他人を書類の上の数字でしか考えられない)官僚がすべてを取り仕切ることになってしまった。ソ連しかり、カンボジアしかり、中国しかり、北朝鮮いうまでもなし。
 「じゃあ、いまの日本は何?日本は資本主義のやりたい放題を社会主義的官僚が応援するというサイテーの形じゃないの?でも・・・・・、こういう私って、人によってはずいぶんいやな女と思うんだろうな。