日本の中世以来、アイヌは北へ北へと追いやられた。江戸時代には、アイヌは松前藩という北海道での産物徴収権だけを持つ不思議な藩に収奪しつくされ、飢餓と貧困の淵に追いやられていた。
明治になると、黒田清隆が北海道開拓使となって以来、事態はいっそうひどくなった。男は極端な低賃金で森林の伐採や根株起し、木材の運びだしに従事させられ、しかも家族から遠い場所で働かされた。夫は家に帰ることを許されなかった。そして故郷の村にいるアイヌの妻はしばしば「和人」から暴行を受けた。その結果アイヌの村では子供が生まれなくなった。人口はどんどん減少した。黒田清隆はのちに首相や枢密顧問官にまで出世する薩摩出身者である。
『静かな大地』は、こうしたアイヌの衰亡の歴史を、何人かの人物の思い出話や長い手紙やアイヌの言い伝えの形を借りて淡々と語った、超一流の長編叙事詩である。文庫で650ページもあるが、主な人物の大体を理解するのに必要な100ページほど進めば、あとは一気に読める。
主人公は淡路島で明治維新の混乱に遭い、藩をあげて北海道日高に移住した宗形三郎・志郎の兄弟。兄弟のうち才覚と進取の気性に特に恵まれた三郎が中心となって日高の山中・遠別に広大な牧場と野菜農場を開く。アイヌに全く偏見を持っていない兄弟は、仲良くなった多くのアイヌの協力を得て軍隊用、農耕用の良馬とトウモロコシ・ジャガイモを生産するようになり、日高でも名の知れた大牧場経営者になっていく。
だがそのことが、北海道にわたって苦労してきた才覚のない旧士族の僻みと反感を買うようになる。とくに使用人に多くのアイヌを雇い、周囲にアイヌの家をたてさせて一緒に暮らすというやりかたが旧士族の神経を逆なでする。アイヌを依怙贔屓し、アイヌの再興を目論んでいるのではないかという噂まで聞こえてくる。
こうした内地からの移住者の反感を黒田清隆の配下の者たちがすぐ嗅ぎつける。税務署に手をまわして税務監査を突然やったり、町に使いに行ったアイヌを警官が袋叩きにしたり、あげくには馬房に放火までしてアイヌ仲間の頭目を焼死させたりする。疲れ切った三郎は少しずつ神経を病み、愛する妻の産褥死が重なったりして牧場は傾き、絶望したアイヌは一人二人と去っていく・・・・・。
白人はインディアンの世界を破壊し、日本人はアイヌの世界を破壊した。何千年と営んできた世界を理不尽に破壊された人々はいずれも文字を持たない人々だった。人は言葉を獲得することで動物を離れたが、こんどはその言葉を正確に記録する手段なくしては、次の段階に「進む」ことは不可能だったのだろう。歴史とは目的地不明のまま「前」に動くことの別の言い方なのだから。だから西洋歴史学の基準で言えば、インディアンとアイヌはともにみずから進歩しようとしなかった人々である、となるのだろう。
しかし今は、進歩ってなんなの?と問うのが当たり前の時代である。アメリカはインディアンの、日本はアイヌの土地を強奪して「進歩」してきた。子供に教え聞かせるふうに言えば、進歩とか成長とかは「西洋風の」力なき人たちを露骨に踏みつけにすることと一部同義のことばである。その「進歩」がいま限界に来ていることはもう世界の常識である。
ついでだが、沖縄についても事情はアイヌとあまり変わりなかった。1947年昭和天皇は、すでに政治的発言をしてはならない「象徴」の地位にあったにもかかわらず、側近を通じて、(国体護持に)必要ならある種の単独講和的な取り決めを受け入れてもよいという意思をアメリカに伝えた。この極秘の提案には沖縄をアメリカの主要な軍事拠点とすることが示唆されている。昭和天皇は占領の早期終結と引き換えに沖縄の主権を売り渡すハラだったのだ。(ジョン・ダワー『昭和』p135・・・大新聞はあまり書かないが、この事実は1979年に雑誌『世界』で暴露され、以後昭和天皇の沖縄訪問はまったく不可能になった。)