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大岡昇平 『俘虜記』(新潮文庫)2/2

 原爆投下の是非に関してブログ筆者はこう考える。1945年7月26日、連合国はポツダム宣言を発し、日本の無条件降伏を求めてきた。昭和天皇がどう扱われるか、つまり国体は護持されるのか、それだけを天皇と軍首脳は悩みぬいた。何度となく開かれた御前会議でも結論は出ず、連合国に対して何の公式回答もしなかった。そして8月6日と9日に広島と長崎に原爆が落とされた。それでも日本国首脳は回答しなかった。8月12日連合国は、天皇の権限がマッカーサーの制限のもとにおかれるという条件付きで国体を維持すると伝えてきた。そして14日終戦詔勅が録音され、翌日放送された。

 当時戦況は決定的だった。にもかかわらず7月26日から10日間、ポツダム宣言は公式には放置された。その間沖縄、南太平洋、中国など多くの前線で日本の兵と市民が死に、米軍にも少なからぬ損害を出した。言い換えればこの10日間の日本の優柔不断が、一気に決着をつけたい米軍に新兵器使用の絶好の口実を与えたのである。8月5日までにポツダム宣言受諾を打電しておけば、ヒロシマナガサキはなかっただろう。作者も言っているが、この10日間に死んだ人たちの霊にかけても、天皇の存在は――笑顔は柔和だったという人がいるが――有害である。

 原爆投下=非人道と、一つおぼえのように言いつのる方たちは、戦争は勝たなければならない、兵と市民は死んではならない、ということの意味が本当はわかっていない。兵と市民が死んではならないのは米軍にとっても同じである。勝利がほぼ確実であるなら、それを1日でも早く決めて、自軍の損害を1人でも少なくしなければならない。それならば日本の最上層部の逡巡につけ込み、彼らに強い心理的効果を与える武器を、造船工場を持つ中規模都市に使用することが最上策である。広島と長崎の市民の悲劇は、彼らが現人神と思っていた人間が保身に悩むだけの人間だったということだ。 

p309に大岡は悲痛なことを書いている。この抜書きだけを読めば、原爆投下=非人道と、一つおぼえのように言いつのる方たちは、大岡の人間性に憤慨を覚えるに違いない。

 戦場の光景を悲惨と感じるのは見る人の眼の感傷である。戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事につき、その死に方は問題ではない。
 しかもその人間は多く戦時あるいは戦争準備中、国家の恩恵を喜んで受けていたものであり、正しくいえば、すべて身から出た錆なのである。
 広島市民とても、(神戸で軍需造船会社にいた)私と同じく、身から出た錆で死ぬのである。兵士となって以来、私はすべて自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。
 ・・・広島では十万以上の人命が一挙に失われ、なお恐らく同数が、今後徐々に死なねばならぬ惨禍は空前である。私はもともと社会的感情を欠く小市民であるが、その私の精神がこれほど「多数」ということに動かされるのは、人間の群居本能よりないと思われる。純粋に生物学的な感情だ。
 この生物学的感情から私は軍部を真剣に憎んだ。専門家である彼らが戦局の絶望を知らぬはずがない。そして近代戦で一億玉砕のごときことが実現されるはずがないのも、無論知っているであろう。その彼らが広島の原爆後もなお降伏を延期していたのは、ひとえに自らが戦争犯罪人として処刑されることを恐怖したからであろう。