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夏目漱石 『それから』(角川 漱石全集7)

 『それから』は1908年作『三四郎』の翌年に書かれた。だから『それから』は小川三四郎の人生がそれからどうなったかを描いたものであるという人がいる。が、これはまったく間違っている。両作品は牛と馬ほどに違うことを書いている。

 まだ江戸時代であるかのような熊本の田舎から「どこまで行っても街がなくならない」大都市・東京にポッと出てきた小川三四郎は、大学構内の池の端で美禰子の視線に出会ったとたんに、一生消えないような焼き印を胸に押されてしまう。それくらいオボコイ青年だった。
 
対して、東京の資産家の次男に生まれた『それから』の永井代助は、30歳になっても、学生気質の理想主義がまだ抜けない。実世界での職業生活をことごとく侮蔑し、パンのために汗を流すことを奴隷の人生と何ら変わりないと公言する。月々の生活費を100%父と兄に頼るが、父と兄のアタマでは実業しかないのだからとうそぶき、自分の親がかりを「アンニュイ」な論理の中に埋めて暮らしている。とはいっても『三四郎』の広田先生のような、世間の栄達や名声をほぼ完全に締め出すアタマの中の論理整合性はなかなかのものをもっている。

 三四郎が生まれて初めて深刻な恋心を抱いた美禰子は、漱石が「その巧言令色が、努めてするのではなく、ほとんど無意識に天性の発露のままで男を虜にするところ、もちろん善とか悪とかの道徳的観念もないでやっているかと思われる・・・・」と言っているような女性だった。
 対して代助といっしょに悲劇に落ちる三千代は「世間が許さなければ死ぬ覚悟があります」と、いつも真顔の女性である。彼女は代助の学生時代の親友の妹で、兄と暮らしていた当時から代助の気持ちは知っていた。しかし、代助のもう一人の親友である平岡も三千代に激しく恋していた。そして「自分に誠実でありたい」代助は、三千代には自分のような性格の男よりは平岡のような実世界向きの男の方が向いていると判断し、彼女を平岡に譲ってしまう。

 代助は外の世界を動かすということに興味がない、自己観察にしか心が動かない文明批評家だが、その一方、三千代に対する自分の気持ちを素直に扱えない「誠実な偽善家」でもあった。このことが悲劇の発端になる。

 代助の父親は幕末に、ある藩の財政を立て直した能吏だった。儒教思想で凝り固まった自信家で、昔の成功体験をもとにして今も代助の兄を引きつれて、なにをやっているか代助にはよく分からない政商の世界で顔を利かしている。そのうちに大きな製糖会社の贈収賄事件に巻き込まれ、父親はかなりの損害を蒙る。

 しかし父親の昔の知り合いに、現在は兵庫県のどこかで裕福に暮らす大地主がおり、その娘がちょうど適齢期になっていた。利に敏い父親はそのことを見逃すはずはなく、いつまでもぶらぶらしている代助にその娘を貰えという。娘の父の資産を傾いた自分の会社に役立てようというわけである。そのことを知った代助は、これまでも何のかんのと言って縁談に応じようとしなかったが、従来以上に父親が自分の欲望をむき出しにする今度の縁談もすっぱり断る。

 一方、三千代の夫・平岡は3年前に九州のある銀行に就職したのだが、そこで不良資産がらみで上司に詰め腹を切らされ、東京に帰ってきて新聞社の経済部にいろいろ苦労して再就職する。当時の新聞社は――今でもその一面は大いにあるが――、まだまだ江戸時代の瓦版がのし上がっただけの雰囲気を残しており、風聞・ゴシップ記事が幅を利かせていた。

 ちょうどそのとき、3年ぶりに三千代にあった代助は、過去に自分を偽って三千代を平岡に譲ってしまったことを思い出す。その三千代はいま夫の失業や結婚後の死産のせいで健康がすぐれていなかった。その三千代を見た代助は、実世間を「アンニュイ」な知的論理で小ばかにする日頃の態度を忘れ、かつての学生時代の恋心をそのまま甦らせてしまう。そして平岡に「お前は彼女を幸せにできない。彼女を俺にくれ」と談判してしまう。

 談判のとき世間に疎い代助は平岡がゴシップ新聞の経済記者であることを忘れていた。三千代を代助に取られそうになった平岡は、代助の父にそのことを知らせる。贈収賄事件の余波に悩む父にとって息子の醜聞は致命傷になる。かくして代助は即座に勘当され、いっさいの収入を絶たれる・・・・・・。

 この巻の末に武者小路実篤の『それから』に対するオマージュが収められている。代助の一面の理想主義は白樺派お坊ちゃんたちの「新しき村」に多大な影響を与えたらしい。漱石は代助の理想主義を――朝日連載終了後、胃潰瘍を発症しながら――蟷螂の斧として、ちゃんと破滅させているというのに。お坊ちゃんたちはいつもたわごとを考えるものだ。