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丸山真男 『日本における危機の特性』ー丸山真男座談3 (岩波書店)

 1959年に筑摩書房の『講座 現代倫理』で、丸山の他に中村光夫鶴見俊輔竹内好石母田正などが開いた座談会の記録。政治的、社会的危機状況に対する日本人とヨーロッパ人の態度の違いについて、鶴見俊輔が自分の留置場での経験を踏まえて印象深く語っている。

 p155

 鶴見 私は太平洋戦争のとき、イースト・ボストンで留置場に入れられたことがあったんです。そこで同じ房にユダヤ人のレーザーという農機具の研究者がいた。彼はナチスに迫害されて、ドイツの教授職を追われ、いろんなところを回り回ってアメリカに来て、今度はドイツのスパイだと疑われて牢屋に入れられたんですが、この人がナチスについて話をしてくれたんです。
 だが、彼は「ナチスは(新しく作った法律で過去の犯罪を罰する)遡及法をやるから困る」と、このことだけしか言わないんですね。ユダヤ人だからひどい差別を受けたとか、そういうことは一切言わない。「遡及法をやると法律の基礎が原理的に破壊される」として、遡及法についての攻撃しかしない、自分たちが受けた待遇だとかではなく、そのことだけに固執するんです。
 こういう性質の人は日本ではほとんど出ないのではないでしょうか。ヨーロッパの精神に典型的なものだと思う。法の精神という社会の底にある原理的なものを第一に考えることで、そのときの「御時勢」というあいまいな、状況的なものにも抵抗が可能になる。
 こうした危機の対応の仕方が日本人の中にはないことと、日本特有の「転向」の問題は、確かに絡んでいます。

 竹内 それは日本文化の本質論ですね。日本文化は本質的に転向文化なりというわけで重大問題です。

 p193

 丸山 「法体系の原理を崩してはならない」なんて、支配層はまったく考えてこなかったですからね。支配層は表のタテマエをあくまで維持してゆけばそれでいいんです。実際その通り行われないことは承知しているんですよ。忠君愛国・滅私奉公は内面化なんてされない。それで表面だけきれいならいいんだ。実際は文字通り守れないことが分かってる法律や教訓をどんどん作るんです。裏に抜け道があっても表がちゃんと秩序立てられていればそれでいいんです。そういう一種巧妙な統治術は、日本の支配層には慶安のお触書以来ずっとお手のものなんだ。
 そこがナチとの決定的な違いで、支配層の原理を民衆の中に徹底的に内面化してゆくことはしない。日本的な寛容や使い分け思想はここに関連しているんですね。