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小林秀雄 「蘇我馬子の墓」

 飛鳥や天平の寺々が堂々たる石造建築だったとしたら、その廃墟は、修理に修理を重ねて保存された法隆寺という一かけらの標本よりは素晴らしいだろう。わが国の滅びやすい優しい芸術は、まず滅びやすく優しく作られた建築という基本芸術の子供である。
 堅く、重く、人間に抵抗する石は、頑丈な手を作り出す。軽い従順な木が作り出す繊細な手は、やがて組織力を欠いた思想を作り出す。
 「歴史の論理」という、喜びも悲しみもない回顧の情を抱いて、私たちは疲れを知らず疲れている。争って日本人の美点を言った時期の後には、争ってその弱点を言うときが続く。そして、美点も弱点も、人間を作る部品ではないことを、誰でも日常の経験から承知している。弱点のお陰をこうむらない美点というものはあるまい。美点だけからなる人間はおよそ付き合えぬ人間だろう。
 封建道徳を否定するものが、民主的自由という褒美をもらう。しかし両手に扱いかねる褒美をくれるのが悪魔でないと誰が言えよう。古典には、現在確かにめぐり合っているという驚きや喜びがある。「歴史」とは、そうした驚きや喜びを欠きながら、目方は増えていく不可解な品物である。