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藤井直敬 「つながる脳」

 p110
 下位のサルAが上位のサルに対したとき、前頭前野神経細胞活動のベースラインは不活発になる。しかしさらに下位のサルBに対したときはAのベースラインのレベルは上昇する。
 上位下位といった社会文脈は前頭前野で表現されている。この社会文脈は脳のその他の部位にも伝播され、その瞬間の社会文脈にもとづいた行動選択に使われることになる。前頭前野に障害があれば、そこに表現されている社会文脈つまり「空気」が読みそこなわれ、社会的に不適切な行動を行ってしまう。
 p128
 初めて会ったサル同士はまずはどちらも強いサルとして相対する。サルたちの初期モードは「強いサル」である。しかしサルたちは自分の中の社会的ルールに照らして、自分より強いと知っているサルが隣にくれば自分を弱いサルモードに切り替えてふるまう。相手と等しい距離にあるリンゴには手を出そうとしない。
 この、強いサルから弱いサルに移行するとき、サルの脳内に現れる脳内認知機能は「行動の抑制」である。強い弱いはその時点での相対的なものであるから、自己抑制の形をとって現れる弱いサルの行動は、非言語的なメッセージとして私たちが理解できるように、強いサルにも間違いなく伝わっている。つまり「抑制」というものが彼らの社会性の根本にあるのではないか。
 p130
 この社会的抑制はサルにも人間にも共通して見られる機能であり、進化的に見ても、人間にしかない協調などよりも先に存在した社会的機能であろう。もっとも、「協調」は生涯身につかない人もいるくらいだから、脳内認知機能の発現というよりは学習体得の要素が強い気もする。
 p210
 脳は情報コンテンツを出し入れする臓器である。コンテンツの豊富さと入出力のスピードだけが問われる臓器だから、優秀さとハードウェアとしての大きさはまったく関係がない。ネズミの脳はほとんどひだがなく、クジラは人間よりひだが多いが、知能の高さはひだの多さに比例していない。
 p216
 ラットの或る一次運動野の神経活動を解析すると(おやつが得られる)レバー押しに関連のある神経細胞活動が記録できる。つまりその解析でラットがいつレバーを押すかを予測できることになる。ならば、その予測プログラム(神経細胞活動をデコードしたもの)を作り、それをロボットアームのスイッチにつないでやれば、原理的にはラットはおやつがほしいと思うだけで、レバーを押さなくても、ロボットアームを動かせるようになる。
 同じように四肢がマヒしたヒトの一次運動野に電極をインプラントすれば、考えるだけでコンピュータのカーソルを自由に動かせるようになる。
 p259
 合理的な、つまり理屈に合わない行動を容認しない社会では、個人の特性は記述不可能である。経済学が「自己利益を最大化するようにだけ行動する“経済人”」しか扱えないのと同じである。それゆえ、理屈に合わない行動を容認しない社会では、個人は社会から見て誰とでも置き換えられる匿名の一人としてしか扱われない。教育は置き換え可能な粒の揃った人材育成に主眼が置かれ、企業経営も置き換え可能な人材を基礎になされる。
 ということは合理的な社会では、プライベートでもパブリックでも、きちんとした個人を基本とした関係性を構築することは不可能なことになる。個人は記述不可能と定義されているのだから。アメリカでの離婚率が五十%を超えているのはこのことと強い関係がある。夫と妻は互いに記述可能な合理的人間でなければならない。記述不可能な個人に「説明責任」を求める幼稚な社会とはアメリカのことだけではない。