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トクヴィル 「フランス二月革命の日々」

 疲れる本だった。百五十年前のヨーロッパに乱立していた王国の宮廷の闇は、十人の腹黒い高級廷臣が伝言ゲームをやるような世界である。規模をうんと縮小すれば、徳川の将軍と老中と会津と薩摩と長州と土佐と天皇と関白に、西郷と大久保と松陰が加わって、やってきたペリーの処遇について密書をやり取りするようなものである。それがフランス、プロシア、ロシア、ハプスブルク、イギリスの浅からぬ縁戚関係にある宮廷間で三六五日間毎日行われたのだ。そのことだけがこの本でよく分かった。ヨーロッパのつわもの達にしてみれば、明治維新の経験しかない近代日本の外交団などは小学生の学芸会である。
 革命の現場をメスで切り裂いて報告するようなルポルタージュを思っていたのだが、まったく違った。卵の薄皮のようなあやうさの中でくりひろげられる、知力と腹黒さと虚栄心の暗闘が語られるが、『アメリカの民主主義』の酷薄なまでの冷徹さはそこになく、五十年後見ればどうでもいいような当時の陰口と人物評価があふれかえっている。
 トクヴィルは小説家でなかったから仕方ないが、ルイ・フィリップを主人公にした馬鹿話を仕立てれば、もっとやりきれない狂騒としての二月革命を記録できたのではないか。トクヴィル自身はその小説の中では「いつも青白い顔をして時々興奮する外務大臣」として端役をつとめるだけだが。

 p59
 公職につきたがる傾向や税金に寄生する生活を求めるのは、一つの党派に固有の病理ではなくてフランス国民に付きまとう大きな弱さなのだ。わが民主社会の構成と政府の過度の中央集権化がこの弱さを生み出したのだ。
 p63
 革命は、人々の精神の一般的病理が突然、例えば警備兵の誤った発砲という誰も予測できない偶然によって、自然発生的に起こるのである。
 p109
 世界という舞台の上にあって、偶然は、それを受け入れる事物が前もって成熟していない限り、どのような作用を及ぼすこともなく終わる。二月革命は、偶発事によって豊かになった歴史因果の一般的原因から生み出されたものである。
 p144
 私は自分が、正しい発音で精密に、しばしば深みを持ち、しかし常に冷静に、従って力動感なく話す部類の人であることがわかった。演壇に登ると、うまくしゃべろうという情熱が、いつもほかのすべての情熱を一時的に消滅させてしまうのだ。私が器用に話せるのは対談の中だけだった。
 p291
 おしゃべりなフランス貴族たちはワシントン大統領の下でアメリカ憲法を起草した人々――自分たちの目的や手段をよくわきまえていた人々とはまったく異なっていた。フランス国民のように、忠誠心をもって結びつくことのない国民、そのくせ政府なしに済ますことのない国民は他にはない。
 p294
 フランスは長続きする自由な政府を作ることができない。支配者も、政府の敵も、中央集権を熱愛している。いつか回復不可能な災厄にさらされることを知っていても、支配者としての快適な生活を好むのである。
 403
 ロシア皇帝は自分たちはギリシャ人だと宣言していた。ローマ帝国は皇帝教皇主義でありローマ皇帝教皇を兼ねていた。西ローマ帝国が滅んでからはビザンチン東ローマ帝国しかなかったから、そこで発展したギリシャ正教を引き継いだロシア皇帝が「われらギリシャ人は」とカトリック諸国に公言したのは、おかしなことではない。
 当時、西欧的精神にまったく触れていないロシアの民衆は皇帝を正当性のある君主としてだけでなく、神の使者でありほとんど神に近いものと見ていた。