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莫 言 『牛』 『築路』(岩波現代文庫)

 題名だけ知っている『赤い高粱』の作者でもある莫言(モーイエン)は去年のノーベル賞作家である。中国芸術研究院芸術創作研究センターの教授職にある人らしい。だからいわゆる反体制著作活動をしている人ではない。
 『牛』も『築路』も文化大革命まっただ中の農村での話だ。恐ろしい貧困と飢餓の実情が描かれている。 しかし統制資本主義国家である現代中国にとって、文化大革命は批判されつくした革命「途上」の誤った「教条主義路線」だったのであり、『牛』も『築路』もそのことを再確認する作品として読まれているのだろう。
 訳者あとがきによると、『牛』に登場する人民公社生産隊長のモデルになった人は、この作品の背景について下のように語っているという。
 「文化大革命が進められていた70年代、現在より人口は少なく、土地は多かったにもかかわらず、不思議なことに食糧は足りなかった。草地も不足して家畜の飼料も欠乏していた。そこで、この小説に書かれたような、重要な生産財であり人民公社の資産である牛の数をそれ以上増やさないように牡牛の強引な去勢という、現在のわれわれが理解しえない怪奇現象が起こったのだ。・・・・・・・・農民は牛を増やすことも、かといって殺すこともできなかった。牛を増やせば餌を与えられなくて餓死させるほかはなく、かといってもちろん肉を得るために屠殺もできなくて、どっちにしても“生産を破壊する階級の敵”のレッテルを張られて有罪となるのだった。農村には身寄りのない“野良犬”ならぬ“野良牛”さえ出現し、田畑を放浪していた。それはまさに荒唐無稽の時代で、世界中の笑いものになり、子孫からも嘲笑される馬鹿馬鹿しさであった。」
 次のような人民公社の幹部(主任)と叔父(貧農)のやり取りは、当時の中国全土で毎日何百万回と繰り返されていたのだろう。
 叔父 「私どもの生産隊で牛が一頭、去勢手術の失敗で死にまして・・・」
 主任 「何でそんなことになったのかね? 牛は貴重な生産手段であることは知らないわけはないだろう」
 叔父 「はい、知っています。牛は社会主義の貴重な生産手段であり、貧農・下層中農の命の基であります。」
 主任 「知っていながら、どうして去勢したのかね。あげくに死なせたのかね。」
 叔父 「私どもは間違えておりました。村に帰りましたら、必ずや飼育室を全面的に消毒し、過ちをただし、今後、階級の敵を喜ばせ、貧農・下層中農を困難に陥れるようなことは二度と起こさないとお約束します。」
 主任 「きみの階級的出身身分は?」
 叔父 「貧農です。八代さかのぼっても、ずっと乞食の家系でした」
 主任 「フン、 出身身分だけは大変結構だ。が、そのお粗末な精神で革命が実行できるのか、それが心配だ。・・・・・・・・・」
 『牛』も『築路』も、起伏に富むプロットを持つなかなかの中編だった。
 ところで、場所を日本に変えて、主任を「臆病な国民」、叔父を「官僚・東京電力」、牛を「原発」、社会主義を「日本社会」に置き換えてみると少し面白い会話になるのだが・・・・・。