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ジョージ・オーウェル 『カタロニア賛歌』(筑摩叢書)1/2

  1939年、ジョージ・オーウェルは「文明的使命感」に肩を怒らせてフランコ打倒人民戦線に参加した。しかし敵の敵は友であるとは限らないヨーロッパ政治戦争の実態は、生真面目な彼にとってあまりに複雑だった。この作品はその間の、カタロニア人民が弾圧され打倒される旧世界・スペインならではの事情を、のちに『動物農場』と『一九八四年』を書くことになるオーウェルが、アングロ・サクソンとは思えないような「人民」へのオマージュとして高らかに歌い上げたものである。
 『カタロニア賛歌』、『動物農場』、『一九八四年』の三作とも、書かれた当時は教条的社会主義への毒に満ちた激しい本だったが、今の世代はどんな感じを持ってこれらを読むのだろう。彼らにとって、オーウェルの毒は、それが含まれているとは感じられないほどとても薄まっているのだろう。1981年に買った古い筑摩叢書の一冊である。買って以来30年以上がたっている。
 ジョージ・オーウェルは男らしい男だった。サルトルに対してカミュが男らしかったのと同じ意味で男らしい男だった。「訳者解説」にあるように、オーウェルは当時の左翼知識人全般の観念的で、無責任で、いつも不平ばかり言っているへなへなの平和主義が大嫌いだった。
 彼は自分の言動が「完全な真実」とは限らないことを巻末近くで率直に告白している。この、一つの政治問題について自分を客観視できる態度こそ、彼の言動が大地に足を据えた男らしいものであったことの何よりの証拠だと思う。

 p266−7
 ぼくがこの戦争について書いたことが、読むものを惑わせないでほしいと思う。この戦争のような問題については、何人も完全に真実を語ることはできない。誰もが、意識的にせよ無意識にせよ、何らかの党派に味方して書いている。だから、(ファシストを憎むのと同じ程度に、政治ヘゲモニー掌握のために反ファシスト連合戦線を分裂させたスターリニストたちを憎む)ぼくのとっている立場のことを忘れないでいただきたい。事実を誤認しているかもしれないことに留意していただきたい。同時に、スペイン戦争のこの時期のことについて書いているほかの本を読むときも、まったく同じことに注意していただきたい。

 スペインは(とても若くて、まことに青い情熱人間)ジョージ・オーウェルの想像力をいちばん捉えていた国らしい。そのスペインへの思いを、戦いに敗れ、手ひどい挫折に消沈してしているときに描いた美しい一節がある。
 p235
 スペインはぼくがかねてから訪れたいと憧れていた国だ。バルバストロやレリダの古い静かな裏通りで、初めてぼくは、すべての人の想像力の中に棲んでいるがままのスペインを束の間垣間見たように思った。鋸の歯のような白い山脈、山羊の番人、宗教審問の土牢、ムーア風の宮殿、曲がりくねって黒く続くラバの列、灰色のオリーブの木、レモンの木立、黒いマンティラをかぶった女たち、マラガやアリカンテの葡萄酒、大聖堂、枢機卿、闘牛、ジプシー、セレナーデ・・・・・、要するにスペインである。やっとそのスペインに来られたというのに、わけのわからない戦争の最中にあったおかげで、カタロニアというこのスペイン北東の隅っこしか、それも大部分冬の気候の中でしか見られなかったのは、とても残念だった。