加藤典洋が『解説』に言っていることだが、吉本隆明の書くものは何を言っているのか分からないところがときどき出てくる。私もそう思う。
二つ三つあげてみる。まず、263ページで 「『超国家主義の論理と心理』の唯一の価値は、国家として抽出される幻想の共同性が、日本においてはつねに曖昧なる抽出としてしか行われない、という土着的な様式を指摘した点に帰することができる。しかし丸山はそれを土着的な様式と見ずに、近代国家形成の過程において起こった天皇制の問題として見た」 としている。しかしそれは、『超国家主義の論理と心理』が戦後すぐの論文だから丸山は天皇制の問題として見た、それだけのことではなかろうか。吉本が指摘する国家という「共同幻想」の日本独特の土着的曖昧さを、丸山は名高い『歴史意識の古層』のなかで明瞭この上もない形で指摘している。
いわく、「・・・・・(古事記)神話という歴史意識の最古層の産物の中では、植物のおのずからなる発芽・生長・増殖のイメージとしての「なる」が、人間世界にも浸透しているのであって、植物世界と人間世界は非常に単純なパラレル関係にある。こうしたイメージの枠組みの中では、あくまで個人が責任をもつ行為の総体としての歴史という意識は生まれようがなく、あらゆる歴史の認識は、神秘的な霊力によって「豊葦原につぎになりゆく稲穂のいきおい」に代表される生長・増殖のオプティミズムにとって代わられてしまう。
「・・・・・・仏教伝来後、聖徳太子はその教理の深奥に通じた、おそらく最初の日本人であった。仏教は当時最有力の世界宗教であり、無限の時空を隔てた「絶対」の存在が、論理の中心にきちんと措定されていた。多くの経典は歴史は植物の生長・増殖になぞらえるべきものではなく、霊力のない自覚的個人の行為の所産であることを饒舌に説いている。ひとの行為が自覚的であるのだから、善も悪も確かに存在するのであって、それゆえに悪は厳しく戒めなければならない。
だが、その当時、蘇我馬子が崇峻天皇を殺害するという「天地の大変」が生じた。そして聖徳太子はこれを傍観していたのである。悪は厳しく戒められず、三宝への帰依を説く高徳のインテリ・聖徳太子は「つぎつぎに生まれる、政治力学のなりゆきとしての、ときのいきおい」に埋没してしまった・・・・・・。」
確かにわれわれの「歴史意識の古層」を丸山は天皇制の問題に結び付けているが、そのことが土着的なものと無関係だと書いてあるとは、読者はだれも誤読しないだろう。まさか吉本はこの論文を読まなかったのだろうか。
次に、259ページの吉本のいう「大衆」は無定義の概念である。定義がないのだから、大衆は「それ自体」として生きていると言われても、それは「日々激しく労働し、切れば赤い血が出る本当の生活者」を指しているのだろう、ということくらいしか分からない。『柳田国男論』にあった卓抜な比喩だが、大衆を「内視鏡」的な視点から観察できる吉本から見れば、「丸山真男には現実の空気が不足している」のだろうが、それは単に「私は大衆を外視鏡でしか観察しようとしないエリート丸山が嫌いである」と言っているだけではないだろうか。
吉本はさすがに詩人だけあって、内視鏡というのはいい比喩だが、あくまで比喩である。内視鏡を持つ医者だけがその病気の実体を確定できるのではない。胃にできた腫瘍が肝臓に転移しているかどうかは、胃カメラだけでは決してわからない。転移がなくしばらくは安心していていいとわかるのは、CTないしMRIといった外視鏡で陰性と判定されてからである。現在の健康状態が当分持つかどうかに対して内視鏡の効力範囲は限定的である。
最後に、300ページに「人間が社会的に存在するとき、人間は公的と私的に、同時に、わかちがたく存在している。人間の意識が社会的に存在するとき、それは情動的にも理性的にも、また生理的にも存在している。・・・・人間の意識の存在の仕方としていちばん肝心なことは、整序以前からの意識の総体が、わかちがたく存在しているということである」と書かれてある。人間は論理で割り切れないドロドロしたものであるということを言いたいのだろうが、いまの大学一年生にならまだしも、10歳も年長の第一級ヘーゲリアン・丸山真男に対して、人間の意識の在り方云々を演繹的に講釈するのはあまりに失礼ではなかろうか。丸山サイドの言い方をすれば「吉本さんの論文は哲学者として粗雑に過ぎる。政治思想史の学者が詩人と言い合いしても始まらないから、ぼくは彼については何も書くことがない」となるのがふつうである。