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松本清張 『火の路』(文春文庫)

 奈良・飛鳥地方には有名な巨石遺跡がある。蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳や由来のはっきりしない酒船石遺跡、益田岩船などだ。酒船石遺跡、益田岩船は天智天皇天武天皇の母親である斉明天皇(在位655〜661年)が築造を命じたとはされるが、土木技術が未発達の当時に複雑な形状に加工された数百トンの巨石がなぜわざわざ小高い丘の上に築かれたのか、これらの巨石の用途は何であったのか・・・・・、この小説が朝日新聞に連載された1973〜4年頃には、日本史学界に定説はなかったらしい。
 そこに清張は、斉明朝に先立つ百年少し前の仏教渡来に関連する重要なできごとを持ち込んだ。そして、歴史学者や考古学者にはなかなか言い出しにくい、想像力豊かな話をこの小説中で展開した。

 古代、一つの国に大きな宗教が来るということは、美しくまとめられた経典だけが伝わるのではない。宗教伝達にはその基礎をなす生活文化全般の伝達がともなうものであり、さらに上下各層の人々が生々しい異国の言葉や身振り手振りとともにその宗教の精神を伝えようとするものである。
 古代日本に伝えられた仏教は中国で数百年にわたって練り上げられた「中国の仏教」である。インドから中国に伝わった仏教は、当然、中央アジアや西域を経由している。紀元前後の中央アジアや西域の有力宗教はゾロアスター(ドイツ語読みではツァラツトゥストラ)が太古の昔にペルシャの知で開創したゾロアスター教(拝火教)である。唐の時代に仏教が「中国の仏教」として完成する間に、そのこうむった影響は大きなものだった。具体的には密教系で用いられる護摩壇の炎は拝火教の形式そのものを借りている。そのほか大小の仏像・神像の後背にある炎の形もそうであり、如来を輝かせる光背も<光明>を第一の義とするゾロアスターの教義を取り入れたものである。
 さらに中央アジアを支配していたペルシャ人は商業・交易に秀でた才能を持っていた。唐の都にはそうしたペルシャ人の街があったという。才知豊かな商人であるペルシャ人が中国からの仏教伝達使に混じって日本に来ていたことは、いくつかの文献で証明されている。そのペルシャ人は珍しいガラスや金銅細工の品物をたずさえて飛鳥の支配階級を喜ばせていたに違いない。斉明天皇からおよそ百年後の聖武天皇光明皇后正倉院に貴重な文物を遺したが、それらにはこれらペルシャ商人がもたらしたものが数多く含まれているだろう。中国の僧たちは、それと深い認識はないままに、ゾロアスター密教教義を混淆させた仏教と世界最先端にあるペルシャの文物をわが国の最上層に伝えていたのである。・・・・・・

 このようにして清張は酒船石遺跡、益田岩船などにもゾロアスター教の濃い影響を見ようとするのだが、この点での清張の主張は最近の精細な考古学調査と文献解釈でほとんどが否定されているらしい。ただ、この小説発表時点では酒船石遺跡、益田岩船の用途や象徴的意味などが深く探求されていなかったのが、この小説が大胆な仮説を提出したことで保守的な古代史学界が揺れ動いたことは確かなようだ。
 この小説は文庫で上下巻1000ページ近い大作だ。ゾロアスター教が斉明朝に与えた影響の深さに関する主人公の論文のほかに、主人公が所属する大学研究室の因習的な人事のこと、副主人公たちのカネや業界風習にまつわる疑惑の行動、といった挿話もたくさん書かれている。ベストセラー作家のファンへの配慮である。