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ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』(河出書房新社)5/7

下巻 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

 p43-48

 歴史は、予測が原理的にできない二次のカオス系である

 グローバルな社会の出現が必然的だというのは、その最終産物が、いま私たちが手にしたような特定の種類のグローバルな社会でなくてはならなかったということではない。なぜキリスト教徒は20億、イスラム教徒は13億もいるのに、キリスト教の「悪魔」概念を生んだ善悪二元論ゾロアスター教はわずか15万しかいないのか。もしサピエンスが各大陸に棲みついた1万年前に戻って、一からやり直したら、毎回必ず一神教が台頭し二元論は衰退するのだろうか。

 そのような実験はできないから、本当にどうなるかは知りようがない。しかし、歴史の持つきわめて重要な特徴を考察すれば、多少の手がかりは得られる。

 歴史はどの時点をとっても分岐点になっている。過去から現在へは、結果論で言うと一本だけ歴史のたどってきた道があるが、そこからは無数の道が枝分かれし、未来へと続いている。それらの道のうちには、幅が広くなめらかで進みやすいものもあるのに、歴史あるいは歴史を作る人々は、じつに予想外の道を選んだりすることがある。

 1913年、ボリシェビキはロシアの小さな急進的派閥にすぎなかった。それがわずか4年後にロシアを支配下に置くなどとは、当時誰が予測できただろう。それに輪をかけて、西暦600年に、砂漠に暮らすアラビア人の一集団が、大西洋からインドまでの広大な領域をほどなく征服してしまうなどという考えは、ときの人々にとって荒唐無稽だった。

 歴史にはあまりに多くの力が働いており、その相互作用はあまりに複雑なので、それらの力の強さや相互作用の仕方がほんのわずかに変化しても、結果に大きな違いが出る。そればかりか、歴史はいわゆる「二次」のカオス系なのだ。一次のカオス系は、それについての人間の予想には反応しない。たとえば天気は、一次のカオス系だ。天気は無数の要因に左右されはするものの、天気がコンピュータ予測に反応することはないので、私たちは大型のコンピュータを用いて少しずつ正確な予報を出せるようになっている。

 これに対して二次のカオス系は、一次のカオスについての予想にカオス自身が反応するので、系の進路を正確に予想することは決してできない。例えば商品市場は二次のカオス系だ。翌日の石油価格を100%予想できるコンピュータプログラムを開発したらどうなるだろう。石油価格はたちまちその予測価格に反応し、あるいは売り、あるいは買い進めるので、その結果予想は外れてしまう。
 政治も二次のカオス系だ。1989年の革命を予測しそこなったとしてソ連研究家を非難し、2011年のアラブの春の革命を予知できなかったとして中東の専門家を酷評する人は多い。だが、これは公正を欠く。二次のカオス系である革命は予想不可能に決まっているのだ。