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村上春樹 『職業としての小説家』(新潮文庫)3/3

 海外へ積極的に出ていく

 p314-7

 僕の本は、米国とアジア以外の国で、まず火がついたのはロシアと東欧でした。それが徐々に西進し、西欧に移っていきました。1990年代半ばのことです。実に驚くべきことですが、ロシアのベストセラー・リスト10位の半分くらいを僕の本が占めたこともあったと聞いています。
 これはあくまで僕の個人的印象であり、確かな根拠・例証を示せと言われても困るのですが、歴史年表とつきあわせて振り返ると、その国の社会の基盤に何かしら大きな動揺があった後に、そこで僕の本が広く読まれるようになる傾向が世界的に見られたという気がします。
 ロシアや東欧地域で僕の本が急速に売れ始めたのは、共産主義体制の崩壊という巨大な地盤変化の後でした。これまで確固としてゆるぎなく見えた共産党独裁のシステムがあっけなく崩壊し、そのあとに希望と不安をないまぜにした「やわらかなカオス」がひたひたと押し寄せてくる。そのような価値観のシフトする状況にあって、僕の提供する物語が新しい自然なリアリティーのようなものを急速に帯び始めたのではないかと思うのです。
 またベルリンの東西を隔てる壁が劇的に崩壊し、ドイツが統合国家となって少ししたあたりから、僕の小説はドイツでじわじわと読まれるようになったみたいです。そういうのはもちろんただの偶然の一致かもしれません。でも思うのですが、社会基盤・構造の大きな変更が、人々が日常抱いているリアリティーのあり方に強い影響を及ぼし、また改変を要求するというのは当然のことであり、自然な現象です。現実社会のリアリティーと物語のリアリティーは、人の魂の中で(あるいは集団的無意識の中で)避けがたく通底しているものなのです。どのような時代にあっても、大きな事件が起こって社会のリアリティーが大きくシフトするとき、それは物語のリアリティーのシフトを、いわば裏打ちのように要求します。
 物語というのはもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の現実のシステムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らの内なる場所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。その、現実社会とメタファーという二つのシステムをうまく連結させることによって、言い換えるなら主観世界と客観世界を行き来させ、相互的にアジャストさせることによって、人々は不確かな現実を何とか受容し、正気を保っていくことができるのです。僕が提供する物語のリアリティーは、そういうアジャストメントの歯車として、たまたまうまく機能したのではないか――そんな気がしないでもありません。繰り返すようですが、もちろんこれは僕の個人的な感想にすぎません。しかしまったく的外れな意見でもないだろうと思っています。
 そう考えれば、日本という社会は、そのような総体的ランドスライド(地滑り)を、欧米社会よりもむしろ早い段階で、ある意味では自明のものとして、自然に柔らかく察知していたのではないかという気もします。僕の小説は欧米よりも早く、日本の一般読者に積極的に受け入れられていたわけですから。それについては中国や韓国や台湾といった東アジアのお隣の国々についても同じことが言えるかもしれません。お隣の国々の読者たちはかなり早い段階から僕の作品を積極的に受け入れ、読んできてくれました。
 しかし、僕の小説に対するアジアの国々と読者の反応と、欧米諸国の読者の反応との間に、少なからぬ相違が見受けられるのも、また確かです。そしてそれは「ランドスライド」に対する認識や対応性の相違に帰するところが大きいのではないかと思います。またさらに言うなら、日本や東アジア諸国においては、ポストモダンに先行してあるべき「モダン」が正確な意味では存在しなかったのではないかと。つまり主観世界と客観世界の分離が、欧米社会ほど論理的に明確ではなかったために、「ランドスライド」に対する集団的無意識の反応も違ってこないわけにはいかないのではと思います。