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村上春樹 『職業としての小説家』(新潮文庫)2/3

 小説を書くのはどこまでも個人的でフィジカルな営み

 p193-6

 小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくということです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで下りていかなくてはなりません。大きなビルを建てようとすれば、基礎の地下部分も深く掘り下げなくてはならないのと同じことです。また密な物語を語ろうとすればするほどその地下の暗闇はますます重く分厚いものになります。
 作家はその地下の暗闇の中から自分に必要なものを――つまり小説にとって必要な養分です――見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。そしてそれを文章という、形と意味を持つものに転換していきます。その暗闇の中には、ときには危険な物事が満ちています。そこに生息するものは往々にして」、様々な形象をとって人を惑わせようとします。また道標もなく地図もありません。迷路のようになっている箇所もあります。地下の洞窟と同じです。油断していると道に迷ってしまいます。そのまま地上に戻れなくなってしまうかもしれません。その闇の中では集合的無意識と個人的無意識が入り混じっています。太古と現代が入り混じっています。僕らはそれを腑分けすることなく持ち帰るわけですが、ある場合には危険な結果を生みかねません。
 そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしても単純にフィジカルな強さが必要になります。どの程度必要なのか、数値では示せませんが、少なくとも強くないよりは、強いほうがずっといいはずです。そしてその強さとは、他人と比較してどうこうという強さではなく、自分にとって「必要なだけ」の強さのことです。
 こういう考え方、生き方は、あるいは世間の人々の抱いている一般的な小説家の像にそぐわないかもしれません。僕自身、こんなことを言いながら、だんだん不安に襲われてきます。自堕落な生活を送り、家庭なんか顧みず、奥さんの着物を質に入れて金を作り(ちょっとイメージが古すぎるかな)、ある時は酒におぼれ、女におぼれ、とにかく好き放題なことをして、破綻と混乱の中から文学を生み出す反社会的文士――そんなクラシックな小説家像を、ひょっとして世間の人々はいまだに心の中で期待しているのではないだろうかと。早寝早起きの健康的な生活を送り、日々のジョギングを欠かさず、野菜サラダを作るのが好きで毎日決まった時間だけ書斎にこもって仕事をするような僕なんて、ただ人々の描くロマンチックな小説家イメージにろくでもない水を差して回っているだけではあるまいかと。

 村上春樹がこれほど直接的に深層意識の構造に言及するのを見たのは、ここ以外に記憶がない。村上は以下に示すような井筒俊彦氏の考察を参考にしたのかもしれない(井筒俊彦著『意識と本質』岩波文庫)。
 深層意識はそれ自体多層構造を持っている。現代の言語学は、表層世界の下に潜む「無意識的下部構造」の強力な働きを認める点でユングの分析心理学と一致しており、「深層意識は象徴を構造化する器官なのであって、粗大な物質的世界がここで神話と詩の象徴的世界に変成する」とする。
 深層意識の中層部に「言語アラヤ識領域」がある。意味的「種子」(ビージャ)が「種子」特有の潜勢性において隠在する場所であり、ユングのいわゆる集団的無意識の領域に当たる。
 芸術活動の中で生み出されるシンボルとは、言語アラヤ識領域で生まれた「元型」イマージュがそのまま表層意識の領域に出てきて、そこで記号に結晶したものである。意識の深層が体系的に開かれている人々、しかもこれに積極的意義を認める人々にとっては、「元型」イマージュが描き出す図柄こそ、存在リアリティーの最初の分節構造を露呈するものとなる。ただし、理性的、合理的であることを誇りにする近代人の目には、「想像的」イマージュに由来する言語呪術はただの未開人現象としか映らない。