アクセス数:アクセスカウンター

村上春樹 『回転木馬のデッドヒート』(講談社文庫)

 子供がスポイルされるということはどういうことなのか。それを調べる場合、親が普通の職業についている女の子を調査対象にすると、数が大きすぎるので得られる結論は深度が浅く、女性週刊誌の読者アンケート結果みたいなものになりやすい。

 そこで村上は「有名な高級旅館の娘として親から大事に育て上げられ、周囲の人間もそれに同調するような環境下にあり、その結果取り返しのつかなくなるまでスポイルされた美しい少女ができあがった」という、数は少ないがスポイルのされ方も激しい女の子を例にあげてユニークな結論を導いた。以下の平易な文章はスポイルといううものの本質を衝いたものである。

 p87ー8

 ・・・彼女は小柄でやせていたが、素晴らしく均整のとれた体をしていて、全身にエネルギーがあふれているように見えた。眼がキラキラと輝いていた。唇は強情そうに一直線にしまっていた。そしていつもはいくぶん気むずかしそうな表情を顔に浮かべていたが、ときどきにっこりと微笑むと、彼女のまわりの空気は何かの奇蹟が起こったみたいに一瞬にして和らいだ。
 人から聞いた話だと、彼女には兄が一人いたが、年がずいぶん離れていたので、一人っ子のように大事に育てられた。成績もずっとトップクラスで、おまけに美人だったので、学校ではいつも先生に可愛がられ、同級生には一目置かれる存在だったらしい。彼女から直接聞いたわけではないのでどこまでが本当のことかは不明なわけだが、まあありそうな話だ。

 僕は一目見たときから、彼女が苦手だった。僕は僕なりに、スポイルされることについてはちょっとした権威だったので、彼女がどれくらいスポイルされて育ってきたか手に取るように分かった。甘やかされ、ほめあげられ、保護され、ものを与えられ、、そんなふうにして彼女は大きくなったのだ。でも問題はそれだけではなかった。甘やかされたり小遣い銭を与えられたりという程度のことは子供がスポイルされるための決定的な要因ではない。いちばん重要なことは、まわりの大人たちの成熟し屈曲した様々な種類の感情の放射から、子供を守る責任を誰が引き受けるかということにある。
 誰もがその責任からしりごみしたり、子供に対してみんなが良い顔をしたがるとき、その子供は確実にスポイルされることになる。まるで夏の午後の浜辺で強い紫外線に裸身をさらすように、彼らのやわらかな生まれたばかりのエゴは、とりかえしのつかないまでの損傷を受けることになる。それが結局はいちばんの問題なのだ。甘やかされたりふんだんに金を与えられたりというのは、あくまでそれに付随する副次的な要素に過ぎない。