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シュテファン・ツヴァイク 『マリー・アントワネット』(岩波文庫)

 ナチスドイツによって永遠に葬り去られた古きよきヨーロッパ。社会上層の教養主義がまだ本来の意味で生きていた時代への愛惜を、ツヴァイクは脱出先の南米のホテルで何の資料も持たずに、ただ驚くべき記憶力だけを頼りに、『昨日の時代』として一気に書き上げた。そしてそのあと、妻といっしょに毒を飲んで死んだ。もう一年生きれば、ヒトラーが敗北するのを自分の目で確かめられたのに。しかし彼にとっては、ヒトラーがいなくなろうとどうなろうと、破壊されつくした「よきヨーロッパ」が復活することはありえないのだから、自分と周囲の教養人たちの時代はもう終わったのだと、自死の決心が揺らぐことはなかっただろう。

 自分の才智にくらべて名前だけが何百倍も膨れ上がって伝えられているマリー・アントワネットについて書くときも、ツヴァイクの抑えられた筆致は少しも変わらない。ドイツ伝記文学の最高峰とされるこの作品は、著者があとがきで言うように、「巧者なジャーナリストたちが、マリー・アントワネットの取り巻き連の名前をふんだんに使って厚い捏粉をこねあげ、甘ったるい砂糖をふりかけ、感傷的な思いつきのうちに長いことこね回しているうちに、一冊の本が出来上がる」具合の作り方が、一切なされていない。
 上下2冊のいたるところにマリー・アントワネットは登場するが、彼女の人となりはいつも変わらない。本書カバーが言う「歴史の偶然によってたまたま大きな役割をふりあてられた、どこといって非凡なところなどない美しい女」が「虚名のみ高く、毀誉褒貶半ばする」のは、ただ彼女がデリケートな事柄にはトンと鈍感だったからであり、毀誉も褒貶も自分の気持ちよさの前にはあまり意味を感じなかったからである。

 上巻p145-6

 マリー・アントワネットが犯した致命的誤りは、女王として勝利を博する代わりに、彼女が一人の女として勝とうと欲したことである。彼女が女としてあげるささやかな凱歌は、世界史上の偉大な、宏遠な勝利以上に、彼女には重要視される。彼女の遊惰な心情は、王妃という理念になんの精神的内実を与えることを知らず、ただこれに完成した形を与えることしかできなかったから、偉大な課題も彼女の手にかかっては、一時の遊びに化し、高い役目も俳優の役目に変ずる。
 マリー・アントワネットにとっての王妃たることの唯一の意味は、宮廷中でもっとも優雅な女、もっとも艶な女、もっとも美しくよそおった女、もっとも甘やかされた女、とりわけもっとも満足して快活な女として称賛されること、自分たちが人間だと思っている、あの上品すぎるくらい躾けたたしなみのある社交界の連中の「礼儀作法の審判者」であり、伊達者たちの音頭とりであることであった。その軽率無思慮な20年の歳月を通じて、彼女のこの「信念」は変わることがなかった。

  この無意味な過失を具体的に理解するには、こころみに一枚のフランス地図を手にして、マリー・アントワネットが王妃として20年間を過ごしたちっぽけな生活範囲を、そこに描いてみるのが捷径である。その結果たるや人をして唖然たらしむるものがある。というのは、その範囲は非常に狭く、ヴェルサイユトリアノン、マルリ、フォンテーヌブロー、サン・クルー、ランブイエ、このわずかな道のりしか離れていない六つの城のあいだを、マリー・アントワネットは毎日毎日くるくるくるくる動き回っているだけだったのだ。
 あらゆる悪魔の中でいちばん愚かな悪魔、快楽の悪魔によって彼女が閉じ込められた五角の星型をした生活範囲を踏み越えようという要求は、彼女がただの一度も感じたことがなかったのである。

 自分の国を知り、自分が王妃として君臨している多くの州を親しく見、フランスの海岸、多くの山々、城郭、都市、寺院を見ようという望みを、このフランスの支配者はただの一回も起こさなかった。自分の民の一人でも訪れ、あるいは国民の上に思いを致すためだけにさえ、彼女はただの一時間のときをその無為の生活から割いたことはなく、ただの一度も市民の家の門をくぐったことはない。

 パリのオペラ座の周囲に一個の巨大な街が展開していて、貧困と不満に満ちていること、トリアノン宮の池のかなた、有名な見世物の村落の背後に本当の百姓の家々が荒れ果て、納屋が空っぽになっていること、彼女の金ぴかの庭園の柵の向こうに何千万かの国民が労働し、飢えていることを、マリー・アントワネットは決して知らなかった。

 ただ一度問いさえすればマリー・アントワネットにも世界の実相がほの見えただろう。しかし彼女は問おうとはしなかった。時代に一瞥を投じさえすれば、彼女にも理解できただろうに、理解しようとしなかった。一種の鬼火に導かれつつ彼女はたえず一つの円のなかをめぐり、宮廷的操り人形をもてあそび、人為的技巧文化のうちにあって、彼女は決定的で二度と取り返せない年々を空費したのである。