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木村尚三郎 『歴史の発見』(中公新書)

 歴史を学ぶとき、今までのような古代・中世・近世・近代・現代といった時代区分ははたして有効なのか。現代の自分たちの世界は、はたしてそのような順序をたどって変化してきたのか。
 著名な西ヨーロッパ文明史家である著者は、その時代の人々が自分の生きる「世界」のなかにいくつの「場」を持っていたかが、歴史的な時代区分を考える上でポイントになるという。

 p49あたり
 いま私たち現代人は学校、地域、職場、政治団体、宗教団体、親睦団体、スポーツ仲間その他いくつもの組織に身を置いており、それらに加わっていることで自分の知見の範囲を、大げさに言えば、全世界に拡大している。私たちはさまざまの組織や「場」に所属し、その「場」に特有の論理と人間関係の中で生きている。
 これにくらべて19世紀までの人間には現代人よりもはるかに狭い行動と知見の範囲しかなかった。人口の圧倒的多数を占めた農民にとっては、村がほとんどただ一つの身を置くべき組織であり、彼らの「世界」だった。町の職人や番頭、手代にしても、親方の家や中小規模の企業が彼らの主たる世界であった。彼らの場合、かかわりあう組織や「場」の数は少なく、かつ小さかった。

p52-3
 この、人が所属する「場」とそこで結ばれる人間関係という観点から見ると、「有史時代」はどのように分類されるか。地縁的組織集団を貫く経済原理が農業・自然経済に立脚するか、工業・商品経済に立脚するかによって分類される次の3つの時代区分がもっとも適切なのではなかろうか。

 第一の時代(古い時代)
 11世から13世紀までの、地縁的農業組織集団時代である。ふつう封建社会の時代といわれ、農村共同体の成立、領主・封建貴族の出現が目じるしとなる。

 第二の時代(中間の時代)
 14・15世紀から19世紀までがここに含まれ、第三の時代への移行期である。互いに異質な農業組織集団の原理と工業組織集団の原理が相克し合い、どちらも優越的・支配的になれなかった時代である。封建社会の崩壊期、絶対主義時代、市民革命と19世紀の近代市民社会などはみなここに含まれる。都市と農村、中央と地方、行政と司法、そして公と私とがことにヨーロッパ大陸では鋭く対立し合い、「私の論理」が特徴的に貫徹した時代である。

 第三の時代(新しい時代)
 20世紀、とくに1930年以降の地縁的工業集団の時代である。国家の大規模な経済への介入と再編成、それによる国民経済の成立、マルクシズムの立場からは国家独占資本主義の成立とされるのもが基本的な指標になる。ファシズム・ナチズムもここに含まれる。

 10世紀までの時代は、ヨーロッパ史では、われわれが考察する時代とは異質であり、無縁であるといってもいい。この時代は地縁的組織集団の本質を抽象的・間接的には語ってくれるが、われわれが考える組織集団の論理については何一つ文献等がない。この意味で、10世紀までの時代はいわばヨーロッパの「先史時代」である。