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本ブログに寄せられた不思議なコメント

 このブログで10年前に書いた『数の不思議』という記事に、今朝それこそ不思議なコメントが寄せられた。私はそのコメント内容に唖然とするだけで、コメントをいただいたお礼も何もできなかった。

 10年前に書いた『数の不思議』は以下のようなものである。

素数の出方に方程式はまだない。ある素数に続くようにすぐ次の素数 が現れるかと思えば、次が現れるまでかなりの間隔があく場合もある。その出現間隔はまったく気まぐれに見える。この気まぐれは数が大きくなっても変わらない。

1,2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,43,47,53,・・・,100001809,100001813, 100001821・・・
 先日のTVは、素数 が出現する間隔の「気まぐれ度」は電子軌道の遷移距離の気まぐれ度と関係があると言っていた。数とは抽象概念、または「値」である。何かの実体を示すものではない。素数はもちろん数のなかの一部分である。この素数の配列と、素粒子 の遷移距離という少なくとも実体性を想像できるもののあいだに強い関係があるとは、奇妙奇天烈としか言いようがない。
 詩人以外の言葉は、数式でしか表わせない事柄を伝えるには、まったく能力が足りない。例えば、単なる自然数の逆数の累乗を足すと、突然円周率パイが出てくる式がある。
n:自然数とすれば 1+1/4+1/9+1/16+1/25+1/36・・・+(nの二乗分の1)=6分のπの二乗という有名なオイラーの式だ。
 普通人の言葉はこれを、“無限を介在させると有理数 (分数)は無理数 になる”と気味のわるいことを言う以上に、何ごとも伝えることができない。そもそも円周率の二乗を6で割った数というのは、どんな意味があるのだろう。凡俗はそのとき思わず古代人になって、曇った鏡に現れた謎の記号の神秘にたじろいでしまう。古代インドの物乞いが、釈迦のわからない言葉で天空の「慈悲」をさとされたようなものだ。・・・・・>

 これに対して今日いただいたコメントは次のように書かれている。<…自然数の逆数の累乗を足すと、突然円周率パイが出てくる式は、
『eー1』と『π+1』の2本の紐の[ながしかく]と[円]への⦅変身⦆が関連している。
 [点・線・面]のゲシュタルト崩壊が、言葉から数の言葉(自然数)へ変身したようだ。
 4次元までの意味構造(閉じている)の『HHNI眺望』に観る自然数の絵本あり。
 「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)> 

 私はこのコメントを1センテンスも理解できなかった。「釈迦のわからない言葉で天空の「慈悲」をさとされたような感じ」は寸毫も変わらなかった。どなたか2歳児に日本語の「てにをは」を教えるように解説してくださる方はいませんか。