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ハナ・アーレント 「人間の条件」 1

 プロローグに誘われる言葉がある。
 (たとえば四次元以上の空間や量子を扱う)科学的な世界認識の「真理」は、数式では証明できるのだが普通の言葉や思想には決して翻訳できない記述を内容としている。科学者は、言論がもはや力を失った世界の中を動いているのだから、一般の言論による彼らの社会的判断は、正しいとされる彼らの科学的世界認識とはかけ離れている場合が多い。
 ほぼ同じことを、現代科学をアーレントよりはるかに理解している養老孟司は次のように言う。「ニューラル・ネットの中で起きていることは、入出力される情報とある意味では「関係のない」できごとである。量子がつかさどる「電気的事象」とわれわれの意識が外界から「読み取るもの」は、それ自体は関係がないからである。量子がつかさどる電気的事象は、普通の言葉や思想が頼るニュートン的因果関係には従わない。」
 科学技術はまもなく人間が労働から解放された社会を実現するだろう。しかしその社会の人々は、労働からの自由を獲得する、労働以上に有意味な活動力については、科学者が量子の数式を有意味な思想に翻訳できないと同様に、何も知らないのである。
 p37
 アテネ市民の背景には神々の「不死」があり、それはポリスの不死と同義だった。対してソクラテスは「永遠」を発見したのであり、不死への努力はすべて虚栄虚飾としてこれを見下さざるをえなかった。だから、ポリスの市民裁判でソクラテスの勝つ見込みは全くなかった。
 そしてローマ帝国の没落は人間の手になる仕事はどれ一つとして不死ではありえないことをはっきりと立証してしまった。しかもローマ帝国の没落に続いてキリスト教の福音が個体の生命の永遠を説いた結果、現世におけるあらゆる不死への努力は空虚なものとなった。
 p62
 社会というものはその成員がたった一つの意見と利害しか持たないような、単一の巨大家族の成員であるかのようにふるまうことを要求する。これは家長の専制的権力下における家族の平等に似ている。
 p66
 統計学が有効なのは対象が多数あるいは長期の場合に限られている。一方、歴史的な出来事の有意味性が顕著になるのは、まれな偉業の中においてである。統計学が政治や歴史に意味を発見しようとしてもうまく行くはずはない。
 p76
 他人によって見られ聞かれるという「現れ」こそがリアリティを形成する。私たちが見るものを同じように見、聞くものを同じように聞く他人が存在するおかげで、わたしたちは自分と世界のリアリティを確信することが出来る。しかし(例えば拷問のような)大きな肉体的苦痛は最も伝達しにくいものであり、公的「現れ」に転形できないものである。平らかな友情と違って、秘められた愛もまたそれが公にさらされる瞬間に殺され、リアリティが消えてしまう。愛はその無世界性のゆえに、世界の救済のような政治的目的に用いられるとき、ただ堕落するだけである。