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内田 樹 「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(角川文庫)1/2

 みんな知っていることかもしれないが、内田樹合気道の達人でもある。ウィキペディアには「(確固として保守的なバックグラウンドも併せ持つ)生活倫理と実感を大切にする、『正しい日本の(インテリ・リベラル)おじさん』」 と紹介されている。
 この本は、ウィキペディアの人物評どおりに、とてもカタイことがらを、「あんまり原理原則なんかに縛られずに、気楽にいきましょうよ。あっ、ごめんね、さっきぼくの言ったことナシね、くらいの前言撤回はいいんじゃないの・・・・・・・」と、臆面もなく喋り散らしたものである。(書下ろしではなく、よくできる編集者に「喋り下ろし」て出来た本らしい。)内田樹が前言撤回を是とするのは、「先週も今週も変わらず賢い人間」であるより、「先週より今週の方がちょっとだけ賢い人間」であることのほうが氏にとってずっと「素敵」であるからだと、屁理屈を言う。
 内田樹は私の大好きな養老孟司とならぶ思弁の人である。そのひねくれたソフィストぶりには養老孟司以上のおかしみと高等技術がある。「これからの災害については想定外の事態が起きることも考えに入れておかなくては」などと、そもそも言説として成り立たないことをのたまう人種からは、徹底的に嫌われているだろう。
 ウィキペディアには、「学術上の根拠・エビデンスを提示しない言説が散見され、文学(研究)者としての資質に疑問がある、とする批判がある」とも書かれている。もっとも内田は、「エビデンス・ベースト」などは臆病学者とメディアの揚げ足取りに過ぎないとして、相手にしていないが。
 たとえば内田は、尊敬する白川静司馬遷孔子世伝』の杜撰を指摘し、「司馬遷が記した世系の物語はすべて虚構であり、孔子はおそらく名もない巫女の子供として卑賤のうちに成長した」と断定していることに驚嘆して「その圧倒的な学殖が支える知的自負に打ちのめされた」と書いている。そしてその上で、自分自身も、「断定することはむずかしい。断定しなくてよいのであれば、史料批判の重荷はずいぶん軽くなるから、学者の仕事はずっと楽になる。しかし、白川先生はこれを退ける。<こちらの意見も、あちらの言い分も、それぞれに掬すべき知見が含まれる>などという判断留保は実はしばしば不勉強者の遁辞にすぎぬことを、先生は見抜いているからである」と「断定的」に書くのである。(文春文庫『昭和のエートス』p84)

 ワンランク下の自分に
 P11・19
 「もう一ランク上の自分」を志向する人間、そういう刻苦勉励型の人間を、家庭も学校も企業もメディアも「望ましい人間」として推奨してきました。明治維新以来、いや江戸時代以来、今の若者までずっとそうなのですね。
 しかし、もし親が子供に向かって、「ある条件をクリアできたら(きちんと排便できたら、勉強ができたら、◇◇大学に受かったら・・・)、お前を子供として承認する」という仕方で、子供の成長に圧力をかけたらどうなるでしょう。
 子供は幼いうちから、自分の中には「私」として承認される部分(例えば勉強ができる)と、「私」の一部としては承認されない部分(たとえば昼寝ばかりしている)がある、という考え方をするようになるでしょう。結果、親によって承認された部分だけが市民権のある「私」となり、そうでない部分は「私ならざるもの」として、「克服すべき欠点」として排除されることになります。
 そういう「私」の分断を幼児期から経験してきた子供は、成長したあと、自分の存在を「トータルなもの」として経験することが困難になるのではないでしょうか。

 女性権嫌悪の国アメリカが生んだサクセスモデル
 p55
 映画『エリン・プロコビッチ』は口の大きいジュリア・ロバーツ扮する弁護士が、公害訴訟に勝って大金持ちになるという話ですが、彼女は始めから終わりまで、もう見事なほど怒鳴りっぱなしです。これを「自立する女性」を肯定的に描いた「ポリティカリーにコレクトな」物語であると讃える批評家がいますが、まるで勘違いでしょうね。
 だって、近年のハリウッド映画に出てくる女主人公というのは、お気づきでしょうが、ほぼ全員が怒鳴って、口から唾はいて、自己実現して、大成功しましたという類いの、要するに「嫌な女」なんですが、『エリン・プロコビッチ』はわざわざその「嫌な女」を「女性観客の支持を受けるはずのキャラクター」として提出しているんですから。
 ぼくは、ヒロインは、華々しく成功することを通じて、実は罰を受けているのだと思っています。つまり、「はい、このような女が今のアメリカではサクセスする女なんです。最低の女だと思いませんか?この女にろくな未来は待っていないでしょうね、ザマミロですね」というような暗黙のメッセージが、画面からビシビシ伝わってくるように、物語は造型されています。

 世代論
 P91−8
 戦後の日本復興を担ったのは、実は明治生まれの人たちです。明治二十年生まれ、漱石『三四郎』の年頃の人たちは、敗戦の年にまだ五十代です、実力十分の働き盛りです。
 みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興事業にあたったのは、漱石が日本の未来を託した『坊っちゃん』や『三四郎』の世代だということです。この人たちは日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌辛亥革命ロシア革命を経験し、江戸時代とほとんど地続きの幼年時代からスタートして高度成長まで生きたのです。
 そういう波乱万丈の世代ですから、彼らは根っからのリアリストです。あまりの多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのない世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが「戦後民主主義」だとぼくは思っています。
 はっきりしていることはその世代に比べると、戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分の生活の中での、劇的な価値の変動を経験していないということです。飢えたこともないし、極限的な貧困も知らないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。
 ぼくらはまるっきり「甘く」育てられてきたわけです。人間の本性がむき出しになるような現場に立ち会ったことがない、そういうぼくたちが七○年代から日本社会の中枢を占めてきたんですね。だから本物の恐怖心を知らないぼくたちのどこかには「楽観」があります。為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、一流企業・一流メディアのモラルハザードが毎日起きても、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれるさ」という楽観です。