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カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」(ハヤカワepi文庫)

 (公式の世界では存在しないことになっている、研究さえ禁止されている)クローン人間の悲惨な運命と、彼らを作った私たちの宿業の深さを、きわめて抑制の効いた文体の中で描いた秀作である。
 時代設定は一九九○年代のイギリス。ちょうどクローン羊「ドリー」が作られ、日本でもそのすぐ後にクローン牛が生まれた時代だった。その時代、イギリスでは、ある種の人たちが、自分が後年臓器移植が必要になる可能性を考えて、自分の体細胞を研究機関に預け、自分のクローンを作っておくことがすでに一般的になっていた。クローン人間たちは順調に生まれ、特別な施設で、外界と完璧に遮断されて育てられる。しかし少年少女期になると自我が目覚めることはとめようがなく、「いつの日か自分は臓器提供者として殺されなければならない」という自分の運命にあえぎ始める・・・・・・・・。
 が、少年少女たちは外界からほぼ完全に隔離された教育施設に収容されている。少年少女たちが、 「なぜ私たちは動物のように生まれさせられ、なぜ幼児のように臓器提供についてなぜ何も知らされないまま教育され、なぜ三度も四度も臓器を提供させられなくてはならないの?」 と訊くことは一度もない。男女生徒が思春期になり、性愛が生徒の頭の中に意味を帯びてくるにつれて、自分たちの未来について、まだら模様の灰色のざわめきが時々クラスの中に起きるだけである。
 隔離施設の保護官たちは、(アマゾン先住民の少女を「キリスト者に育て」ようとした修道尼のように)そうした少年少女の不安を 「まごころを持って」 鎮めようとするのだが、その保護官たちの説諭がいかにもイギリス老婦人風で興味深かった。やはりかつて、「近いうちには月さえも併合する」と平然と宣言したという大英帝国男女の精神風土は恐るべきものである。

 「あなたがたからすると、しごく当然の疑問でしょうけれど、でもね、みなさん、歴史的に見るとどうなります? 戦後、五○年代初期から次から次へ科学上の大きな発見がありました。あまりに速すぎて、その意味するところを考える暇も、当然の疑問を発する余裕もなかったのですよ。
 「突然、目の前にさまざまな可能性が出現し、それまで不治とされていた病にも治癒の希望が出てきました。世界中の目がその点だけに集中し、誰もがほしいと思ったのですね。でも、そういう治療に使われる臓器はどこから? 真空の場所から、無から生まれる・・・・・と人々は信じた、というか、まあ、信じたがったわけです。
 「ええ、論議はありましたよ。でも世間があなた方生徒たちのことを気にかけはじめ、どう育てられているのか、そもそもこの世に生み出されるべきだったのかどうかを考えるようになったときは、もう遅すぎました。こういうことは動き始めてしまうと、もう止められません。癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます? 不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?
 「そう、逆戻りはありえないのです。あなた方の存在を知って少しは心を痛めても、それより自分自身が、自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことの方が大事なのです。
 「それであなた方は日陰での生存を余儀なくされました。 世間はあなた方のことを考えまいとしました。 どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。 あなた方は両親が愛し合って生まれた完全な人間ではない、だから問題にしなくていいと、ね・・・・・。
 「ここに世界があって、その世界はあなた方の臓器提供を必要としている。そうであるかぎり、完全な人間ではないあなたがたを普通の人間と見なそうとすることには、少なくとも一部の人々には抵抗があるのは理解していただけますか?」(p401)