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養老孟司  『大言論Ⅱ』(新潮文庫)1/2

 西欧市民社会の「個人」に対応するものは日本の「家制度」である
 p27
 「遅れた」日本には近代的自我が育たなかった、というのが私(養老)が受けてきた教育だった。しかし、例えば18−19世紀の日本は同時代のヨーロッパに少しも劣らない文明化された社会だった。身分制度も文学や絵画の芸術も数学も、発展段階は同時代のヨーロッパと驚くほど似ていた。違ったのは鉄をつくるためのエネルギーを生みだす産業の機運が芽生えなかっただけである。
 では近代的自我に関して、それがなかった日本には何があったのか。結論を先に言う。家制度である。ただいま現在、憲法論や民法論が盛んであり、時代遅れの左翼は、家制度を称揚するのは戦前の国家主義への復帰だと、珍妙な上っ面だけの議論を相変わらずしている。ここで議論すべきなのは、なぜ日本に近代的自我が生まれなかったか、ということではないのか。
 再び結論を先に言うが、日本の制度における「家」は西欧市民社会における「個々の市民」に相当した、「公的に認められた私的空間」だったのである。
 「公的に認められた私的空間」とは、その空間内においては刑事犯罪を犯さない限り何をしても訴追されることはない空間のことである。また日本の「家」はどんな田舎でも各戸は現在の個人選挙権のように平等であり、所有する田地の広さによってあからさまな差別を受けることはなかった。
 同様に、西欧における市民は、それぞれの市民が、刑事犯罪を犯さない限り何をしても訴追されることはない「公的に認められた私的個人」である。だからイタリアで何度も首相になったベルルスコーニは、成年の若い女と乱痴気騒ぎを何度繰り返そうとも、そのこと自体で首相の座を追われることはなかったのである。私的個人の自由は、刑事犯罪を起こさない限り徹底的に認めようというのが「市民社会」の大原則であるからである。ベルルスコーニが追われたのは汚職と未成年女性との性的スキャンダル疑惑によってである。

 「私」というものを「家のなかの人」の意味でしかとらえない日本の世間は、このような公的な私人などというものは認めない。「公人か私人か」というのが日本の世間であって、靖国に詣でる公人としての私人」などというわけのわからないものを、世間が認めるはずがない。首相が戦没者を「公人としての私人」として慰霊したいなら、私邸の中に宗教法人格を持たない社を立て、そこで手を合わせるのが日本の世間への作法である。そこは「公的に認められた私的空間」であり、他の党や政敵もそこには侵入禁止なのだから。