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丸山真男 『佐久間象山・幕末における視座の変革』(岩波・著作集第九巻)3/3

 「私は、人間の進歩という陳腐な観念を固守するものであることをよろこんで自認する」
 本巻(岩波・著作集第九巻)に『日本の近代化と土着』という小論がある。そこで丸山は強い言葉を使って、自分がヨーロッパ近代主義者といわれていることを認めている。「私は土着的とか日本的とかいう言葉にはほとんどアレルギー的反応を起こすんです。・・・・・普遍的なものへの追求対象が、昔は中国だったのが明治になって急に欧米になり、この間の戦争後にはソ連になる。するとまた、(その人が老境にさしかかった場合などには特に顕著に)その似非普遍主義を「暴露」しようとして、日本思想の「固有思想」であるとして神道系の「土壌の論理」みたいなものがいつの間にか出てくる。この繰り返しにはもううんざりです。いくら西欧主義者といわれようが、そういう感覚だから、嘘をつくわけにはいかない」と。
 丸山嫌いの人々にはまさにアレルギー反応を起こす言い方をしたものだが、もちろん当人はそうした反応をわかったうえで言ったのであって、こうした丸山の「公式メッセージ」には、外国政府首脳の、相手の出方を測ったうえでの「刺激的外交メッセージ」に似た複雑な意味合いがある。
 本巻には小田実の『激しい親近感』というしおりがついている。そこに、上記のことに関連した、丸山が「あえて西欧主義者であろうとした」いきさつを小田が詳しく述べている。。

 ――丸山さんは『現代政治の思想と行動』英語版への著者序文のなかで書いている。「私(丸山)の思想へのマルクス主義の影響がいかに大きかったにしても、それを全面的に受け入れることに対しては、“大理論”(グランドセオリー)への私の生得の懐疑と、“理念”の力へのわたしの信頼との両者がつねに牽制要因になった。主知主義的な唯名論のほうへどんなに引き寄せられても、そのことが有意味的な歴史的発展という考えをまったく私から捨てさせるまでには至らなかった。」
 ――私(小田)がその彼のありように心を動かされたのは、わたし自身の思想のありようが多分にそうしたものであったからだ。まず作家としてそうであった。“大理論”(グランドセオリー)で小説は書けるものではないし、そうかといって、ただ日常生活のヒダのなかにばかり沈潜する私小説のたぐいは私にとって文学ではなかった。そして私の市民としての政治参加も“大理論”がまずそこにあってのものではなかった。
 ――丸山さんもいま私が引用した箇所に続けて書いていた。「私は自分が十八世紀啓蒙精神の追随者であって、人間の進歩という陳腐な観念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する。」そしてさらにそのあと丸山さんは、突然、それまで抑え込んでいたものが一挙にほとばしり出たような文体で、彼は情熱をこめて書く。「本書(『現代政治の思想と行動』)の読者は、進歩的、革命的、反革命的、反動的といった、読者にはもはやなじみに内容な言葉遣いをここに見出すであろう。もし私が今日書くとしたならば、こうした言葉をもう少し控えめに用いるかもしれない。しかし私は歴史における逆転しがたいある種の潮流を識別しようとする試みをまだあきらめてはいない。
 私(丸山)にとって、ルネッサンス宗教改革以来の世界は、貧者の特権者に対する、「低開発側」の「西側」に対する、反抗の物語である。それらが順次に姿をあらわし、それぞれが他のものを呼び出し、協和音と不協和音の混成した曲を現代世界において最大規模に創りあげている最中である。われわれはこれらの潮流を推進する「進歩的」役割を、なんらか一つの政治陣営にアプリオリに帰属させる傾向に対して警戒を怠ってはならない。・・・・・人間の能力の一層の成長をはらんでいるような出来事と、時計を逆回転させる意味しか持たない出来事とを見分ける一切の試みをあきらめてしまうならば、それは情けないではないか。」