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2016-01-01から1年間の記事一覧

カズオ・イシグロ 『わたしたちが孤児だったころ』(ハヤカワepi文庫)

舞台は日中15年戦争の頃の上海租界。イギリス、フランス、日本などが表地と裏地がまだら模様に捻じれあう策謀劇を繰り広げていた。 語り手「わたし」の父親はイギリス商社の上海駐在員。会社は通常の貿易業の裏側でインドのアヘンを中国に密輸入し、何百万の…

カフカ 『城』(新潮文庫)

4年前に読んだのだが、家族が一週間後に手術というとき、とても600ページは読み続けられる小説ではなかった。200ページであきらめた。テーマは「審判」とおなじだ。なぜ私たち自身が「いまこのようであらねばならないか」という不条理性。 そのあと、たまた…

永井荷風 『濹東綺譚』(全集第九巻・岩波書店)5/5

『すみだ川』に自分で書いているように、荷風は 「既に全く廃滅に帰せんとしている昔の名所の名残りほど、自分の情緒に対して一致調和を示すものはなく、わが目に映じたる荒廃の風景とわが心を痛むる感激の情とをまとめて、何ものかを創作せん」といつも企て…

永井荷風 『腕くらべ』(全集第六巻・岩波書店)4/5

東京新橋界隈を舞台にした荷風充実期の名作花柳小説。1918年の作。タイトル「腕くらべ」とは、旦那を自分の身の中にからめ取るための芸者同士の技くらべの意。 吉岡という色男を古株の姐さんからかすめ取った、いま売出し中の新橋芸伎・駒代は、恨み骨髄の姐…

永井荷風 『すみだ川』(全集第五巻・岩波書店)3/5

1911年作。江戸末期の情緒が色濃く残っている隅田川沿い、芸者屋、しもたやなどがたて込んだ界隈が舞台。長吉の母親は常盤津の師匠をして生計を立てている。長吉は、幼なじみのせんべい屋の娘お糸が好きでたまらない。二人は毎日、浄瑠璃、三味線、芝居小屋…

永井荷風 『冷笑』(全集第四巻・岩波書店)2/5

『あめりか物語』や『ふらんす物語』で世に出て、荷風の名が知られはじめた時期の作品。1910年、夏目漱石の口利きで東京朝日新聞に連載できたこの『冷笑』によって、新進実力作家としての地位が固まったとされている。 銀行家の小山清、小説家の吉野紅雨、狂…

永井荷風 『ふらんす物語』(全集第三巻・岩波書店)1/5

1879年生まれの荷風が20代の後半、1年ほどフランスに文字どおり遊学したときのことをつづったもの。それまで数年間アメリカの日本大使館や横浜正金銀行アメリカ支店に勤務していたのが、結局荷風は官吏や銀行員としての堅気の生活ができるはずもなく、アメリ…

リチャード・ドーキンス 『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)2/2

自然淘汰説は結果論である。 ヒトのこれからについて自然淘汰説は何も言えない。 そのことをドーキンスはきちんと認めながら、次のようなとても興味深いことをこの本の白眉である同じ第13章で書いている。自己複製をするただのタンパク粒子―利己的な遺伝子が…

リチャード・ドーキンス 『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)1/2

1976年に出た本書によってダーウィンの進化論は生物進化理論の標準理論として定まった、といわれている。刊行直後から世界的ベストセラーになり、あらゆる生物個体は利己的な遺伝子の乗り物であるという本書の基本テーゼはそれまでの生命観を180度転換するも…

アントニオ・ダマシオ 『無意識の脳 自己意識の脳』(講談社)

著者アントニオ・ダマシオはポルトガル生まれの世界的な神経生理学者。意識はどのようにして起きるのか、情動や感情と自己意識はどんな関係にあるのかといったことを、この本で正面から論じている。楽器の音色や食べ物の食感など誰もがその内容を直感できな…

吉川浩満 『理不尽な進化』(朝日出版社)3/3

偶発的事象であることを分かっていながら 「どうしてこうなった」と問うてしまう。 p369-71 社会学者の大澤真幸は、阪神淡路大震災で被災したある女性について語っている。彼女は震災の朝、とくに理由もなくふだんより10分程早く寝床を離れたのだが、それが…

吉川浩満 『理不尽な進化』(朝日出版社)2/3

進化論は、結果論である。 適者だから生き残ったのではなく、生き残ったから適者なのだ。 p83 生物の世界の生き残りゲームは、人間のスポーツ競技と違って、そもそも公正・公平な観点というものはない。地球の自然環境はべつに生物の都合や事情に合わせて動…

吉川浩満 『理不尽な進化』(朝日出版社)1/3

本書には「遺伝子と運のあいだ」というサブタイトルが付いている。遺伝子の変異というその生物種の「域内」だけでなく、運という「域外」からの「理不尽」な干渉を無視して生物進化は語れないという意味である。 150年前の自然淘汰説に現代遺伝学などが加わ…

小泉英明 『アインシュタインの逆オメガ』(文芸春秋)

筆者は東大基礎科学科卒業後、日立の基礎研究所で生化学物質のさまざまな超精密計測機器を開発した人。ご自身も深く関わった光トポグラフィーによる脳機能の可視化装置は、うつ病の判定診断に欠かせない先進医療の核心技術のひとつということだ。(ちなみに…

ジュンパ・ラヒリ 『低地』(新潮社)

両親ともに社会的能力に恵まれた場合、子育てはどちらが担うのがいいのだろう。父親が何日の育児休暇を取ったなどと呑気なことを言って済ませることがらではない。 バングラデシュの過激な革命運動のさなか、カルカッタの低湿地帯にある貧しい自宅で警官隊に…

デイヴィッド・ベニオフ 『卵をめぐる祖父の戦争』(早川書房)

戦争小説。1942年、ドイツによる凄惨な旧ソ連レニングラード包囲戦の最中に起きた(かもしれない)、愚かでそれでいてファンタジックなエピソードが描かれる。著者ベニオフはブラッド・ピット主演の『トロイ』の脚本も書いている映画人らしい。この小説の起…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)9/9

なぜ紫式部はこのような長い長い物語を書いたのだろうか。第九巻の月報に河野多恵子が書いている。 「清少納言が『枕草子』を書いたのは、衒いの欲望のためだったという気がする。・・・・・が、紫式部が『源氏物語』をなぜ書いたかということは、内的・外的…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)8/9

巻十 浮舟は、光源氏の(世間的には)二男であり表の政治世界でも有能な薫と、親王ゆえに官位などどうでもいい当代随一のプレイボーイ匂宮の二人から想われてしまう。この浮舟に対しては、読者の好みは、男と女によっても、それぞれの社会観、人生観によって…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)7/9

巻八 宇治十帖が始まる『橋姫』の巻で、薫は自分の出生の秘密を知らされる。教えてくれたのは「弁の君」という、かつて源氏の六条の院で朱雀院の娘・女三の宮に付き添っていた老女房。柏木を女三の宮の部屋に手引きした「小侍従」の女房仲間で、しかも自分の…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)6/9

紫式部は僧というものを、「告げ口をする卑劣漢」として、遠ざけておきたい人種の内に数えている。 たとえば、光源氏と藤壺の不義は当人同士の絶対の秘密であったのを、代々の帝の加持祈祷を行い過分な禄をもらい続けてきた僧都が、こともあろうに不義の子で…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)5/9

巻七 『御法』 源氏が想いを掛けた女君の中では容貌、品性、教養、気遣いなどすべてにおいて他の人に比べるところなかった紫の上。その紫の上が『御法』の帖で亡くなる。 彼女は広大な六条の院で催されるさまざまな年中行事を差配する女主人の地位にはあった…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)4/9

巻六 『源氏物語』最大の読みどころのひとつ、『若菜』の上下巻がこの第6巻に入っている。位も官も絶頂を極めた光源氏の運命がここから大きく暗転しはじめる。 源氏の実子である(ことは源氏以外誰も知らない)冷泉帝に位を譲って上皇となった朱雀院が、溺愛…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)3/9

巻五 明石の君との間にできた姫君は、将来東宮御所に入内するために源氏と紫の上夫婦の養女となっている。実母である明石の君は文学、絵物語の方面にも才能があるので、当時の継子いじめの代表作だった『住吉物語』などを、表紙に趣向を凝らしたり挿絵を新し…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)2/9

巻三 いまや皇太后という頂点に立ち、女性の中では権勢並ぶもののない弘徽殿の女御。源氏の須磨下りは、その弘徽殿の妹・朧月夜に、あろうことか宮中で手をつけたことがたたったものだ。その都落ちを源氏は、罪を犯したことに対する罰ではなく、自ら決めた自…

円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)1/9

巻一 『夕顔』 p236 『夕顔』の最後のページに、紫式部自身が「この物語は本当にあったことを書いたのですよ」と読者に対して念を押す一文がある。当時の読者はその教養に応じて、この一文をあるいは真顔で、あるいは微笑しながら読んだに違いない。 「一体…

阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)3/3

では、笛吹き男とはだれのことなのだろうか。『チンメルン伯年代記』という題名の、「ネズミ捕り男の伝説」と「ハーメルンの子供の失踪伝説」とを初めて関係づけて記載している16世紀中葉の手書き本が、本書に紹介されている。この手書き本には以下のような…

阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)2/3

新しい都市経済は男性労働者だけでなく、 その妻や子供にも容赦なかった。 p137−8 12、3世紀が厳しい時代だったのは村の伝統社会に対してだけではない。賃労働するしかない都市の下層民も同じだった。日雇い労働者の妻は、亭主が昼食に帰ってきたときに持っ…

阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)1/3

中世と近代が、ある時期をもってはさみで切るように分けられるものでないことは、いまは常識になっている。日本では明治維新をもって、なるほど江戸時代の近世と明治以降の近代は区分されているが、西郷でも大久保でも勝海舟でも伊藤博文でも彼らの魂の半分…

ジュンパ・ラヒリ 『停電の夜に』(新潮社)

ごくありふれた日常のしぐさを(訳者あとがきにあるように)緻密な観察力を土台にした肌理の細かい文章で描いた、九篇からなる短編集。どの作にもたいした事件は何も起きないのに、話の運びの巧みさと登場人物のデリケートな会話は、それだけで魅力的である…

オルダス・ハクスリー 『すばらしい新世界』(光文社文庫)

およそ600年後の社会を描いたディストピア小説。初版は1932年という。ナチス運動がヨーロッパ全体に噂されはじめた時代だ。 600年後の未来社会とは次のようなものだ。 ・西暦ではなく、自動車のベルトコンベアー大量生産方式を確立し「初めて人民に幸福とい…