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オルハン・パムク 「父のトランク」(ノーベル賞受賞講演)

 p14
 小説を書くことは針で井戸を掘ることに似ています。自分の人生を、他人の話として徐々に語ることができること、この語る力を自分の中で感じることができるためには、作家は机の前で何年もこの芸術に必要な職人技に根気強く専心して、一種の楽観主義(希望)を持たねばなりません。
 ある者には決して来ることのない霊感の天使は、この確信と希望を持つものだけを愛してくれます。作家が最も孤独で、自分の努力と空想の価値を根底から疑った瞬間にこそ、彼がそこから出てきた世界と、築こうとする世界を結びつける物語や絵や幻想を解き明かす秘法を教えてくれるのです。
 初夏の晴れた空のように、なんという明晰な自信の表明だろう。パムクは「かつてオスマン・トルコの文明と文化が、西欧をはるかに超える独自さと力に満ちた豊かな一時期があった。子供のときですら、家族と一緒にドライブに出かけた折の愉しみのひとつは、その幻影を美しいボスポラス海峡に見ることであった」という人である。(パムク『イスタンブール』 p72)