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レマルク 『西部戦線異状なし』(新潮文庫)

 第一次大戦の若いドイツ兵は、学校の教師から強制的に志願させられた未成年が多かったという。その若者が、訓練中に古参下士官からいじめられ、新兵のうちに最前線で機関銃になぎ倒され、2、3年たつとずるくなって生き延びるようになるが結局は同じように流れ弾に当たって殺されていく・・・・・・、故郷の親に何の蓄えもなく、自分一人を世の中につなぎ止める何の手段も身につけていない田舎出身の若者が犬のように死んでいく話である。

 たまたまひと月ほど前に読んだバーバラ・タックマン『八月の砲声』は、全く同じヨーロッパ戦線をイギリス・フランス側の上層部の目線で書いたものだった。それに対しこの『西部戦線異状なし』は、イギリス・フランスが虎のように恐れたドイツ第1・第2・第3の北方主力軍団の実情を、最前線の、それも下級兵士の血と汗とえぐられる内臓で描いたものである。
 『八月の砲声』の作者が、前線のむごさには興味がなかったように、もともとジャーナリストとして出発したレマルクのこの小説には、20世紀初頭の国家上層の駆け引きや、ミステリアスな陰謀と裏切りのドラマが一切出てこない。作家としての文明批評などもまったく書かれていない。『八月の砲声』の作者が上層ユダヤ人物書きとして「戦場の肉体の動き」には関心がなかったのと反対に、レマルクは「金持ちの大脳の動き」には関心がなかったようだ。たとえば以下のようなことは、ただ自分で実感できる「肉体」でだけで書いたように思える。

 p192
 僕らは頭蓋骨がなくて生きている人間を見た。両足とも撃ち飛ばされた兵隊の走るのを見た。それは両足とも砕かれながら、間近にある砲弾穴へよろけて行ったのもいるし、ある兵卒などはめちゃめちゃになった両膝を引きずって、2キロの道のりを四つん這いになって逃げていた。僕らは口のない人間、下顎のない人間、顔のない人間を見た。ある人などは握り合わせた両腕の上に、腸が流れ出ていた。

 p372
 野戦病院で僕らに不思議に思われたことは、こんな粉砕された肉体の上に、まだ人間としての顔がくっついていて、しかも毎日の生命が続いていくことだ。こういう顔は、ドイツに幾十万とあり、フランスに幾十万とあり、ロシアに幾十万とあることだ。今の世の中にこれほどのことがありうるとすれば、これまで本に書かれたこと、行われたこと、考えられたことは、すべて無意味だ。過去千年の文化といえども遂にこれを防ぐことができなかったとすれば、この世のすべては嘘であり、無価値であると言わなければならない。
 僕らはまだ若い。二十歳の青年だ。けれどもこの人生から知り得たものは、絶望と死と不安と深淵のごとき苦しみにすぎない。・・・・・もし僕らが今日僕らの父の前に立って、その弁明を求めたら父たちは果たしてなんというだろう。この戦争を用意し、僕らに訓令を垂れ、前線に送ってくれたのは父たちなのだから。

 訳者は有名な?秦豊吉。歌舞伎役者・7代目松本幸四郎の甥にあたる実業家・翻訳家・演出家・興行師で、マルキ・ド・サドをもじった筆名「丸木砂土」で小説『半処女』(1932)やエロティック随筆を書きながら、ゲーテファウスト』などの翻訳も手がけた異端人らしい。先の大戦前、三菱合資会社勤務中に『西部戦線異状なし』を翻訳、中央公論社から単行本として刊行しベストセラーとなった。 
 この文庫版の訳文は、押しの強いボス的人物にふさわしく、かなりいい加減なものである。数えきれないほどの乱暴な助詞の使い方は、編集部が秦の権勢に押し切られたのだろうから仕方がないが、文字校正までちゃんとされていないことは許しがたい。10カ所を超える単純な誤植をそのままにして70版も重ねているとは、恥しいことである。