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高橋和巳 『憂鬱なる党派』(新潮文庫)2/2

 この小説は、『憂鬱なる党派』という題名にふさわしく、読んでいて本当に憂鬱になる。西村という主人公と6、7人の友人たちが登場するが、彼らは全員が京都大学出身の学生運動家だった。そして、アメリカに逃避して心理学者になる青戸とマスメディアに就職した蒔田を除いて、全員が、別々に悲惨な末路をたどる。書かれたのは1964年だから、68~70年の内ゲバは出てこないが、登場する男たちは、教授吊し上げや学内放火、組織内のリンチ事件などで司直から逃げていたり、裁判の未決釈放中であったりする。
 そうした身の上なので、電力会社の臨時雇いになって山中の送電線の見回り仕事をしたり、町工場でプレス工になったり、保険会社の営業になって金を着服したり、小雑誌社で労働組合を組織して会社ともめたり・・・・・、世間がいう「まともな」社会生活を送ることは彼らはとうていできない。が、そんな彼らは、30歳に近くなった現在でも、果てしない議論をする。

 すでにサンフランシスコ条約によって日本の国際的立場はがっちりと固定され、国内の生産力は戦前のピークを上回っていた。「神武景気」が来て国民はひたすら自足し、大多数の国民は国家に不満を持たなくなっていた。平均的国民感情を考慮すれば、登場人物たちの議論はただの<言葉>であり、選挙民としての国民には意味の分からない駄弁にすぎなかった。その、絶対に立ちあがらない国民を、啓蒙すれば立たせることができるとした大きな勘違いこそ、ナイーブな戦後合理主義が伝統日本の非合理主義を超えられなかった理由である。

 下巻に、1961年に起きた釜ヶ崎暴動のことが書かれている。高橋和巳はもちろんこの暴動を民衆蜂起事件としてはとらえていない。この事件は貧民街の手配師やその上の暴力団によるピンハネなどが暴動発生の引き金になったもので、一部左翼が期待したような国民の抗議運動ではなく、そのような「国民」に差別の目で見られる日雇い労働者のただのガス爆発にすぎなかった。

 この小説で何十カ所も出てくる弁論の一つを下に抜き書きする。半世紀ほども昔、友人との議論に際して私たちはこんな上等な言葉は使えなかったが、私にも身に覚えのないことではない。

上巻p204

 「青戸、あわてるな」古在は、その弁論の鋭さとは似ない、胃の痛みにでも耐えるような微笑を洩らした。「青戸が心理学の道に進むことに固執するのは分からなくはない。社会は確かに、青戸のような専門家を必要とするように、現在が政治的時代であるゆえに、逆に君のような非政治的人間をも必要とする。

 「しかし、君の意識の中に、もしこの政治的現実がないとするなら、あきらかにそれは君自身の不幸だ。不感症の女、インポテンツの男よりもまだ哀れな存在だといえる。快楽から閉め出されていることよりも、苦悩から閉めだされている人間の方が哀れなのだ。なぜなら、君の求めているはずの共苦の絆すら、そこには生まれないからだ。快楽は人を孤独にするが、苦悩は人間の連帯を生む可能性があるからね。」 

・・・・やれやれ。