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池澤夏樹 『世界文学を読みほどく』  第九回 フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

 銃社会アメリカの起源

 p267-8

 かつてのアメリカの場合、町を造るとすると、西部劇で見るように、その町は大平原の真ん中に造られて、独立あるいは孤立して存在します。周囲との関係が非常に薄い。すべて自立、自治でやらなければいけない。

 ということは。町のボスたちが全部を決めるということです。そして、その町を運営するための倫理の基準も自分たちで用意することになる。もちろん連邦の法も州の法もあります。しかし裁判所は遠いし検察官はいない。そこで保安官を自分たちから選んで、事が起こったらその場ですべて解決する、というやり方になる。この閉じた状態がアメリカの田舎の町の基本的な姿でした。

 もちろん州判事は巡回で回ってくるし、法律の基準はある。しかしそれを超えてことが裁かれることも少なくない。「リンチ」ということです。町の成り立ちとあり方を考えたら、そういうことは当然起こりえます。自分たちで事を決めて、それを実行する。なぜなら中央は遠いし、過去に先例がないから。

 法律というのは、積み重ねた先例を検討して作られていくものです。しかし先例がない、過去を引照できない、事例を引用した上で今を決められないとなると、ある意味ではやりたい放題になってしまわざるをえない。西部劇でよくあるパターンです。

 西部劇ではよく人を殺します。なぜそういうことになるのか。それから、アメリカという国にはなぜいまだにあれほど銃がたくさんあって、自分の判断で人を殺すことが抵抗なく行なわれるのか。それは、彼らには、法律と倫理、治安、セキュリティーを自前で賄わなければならなかったという歴史があるからです。つまり世の中の決まり、世間様、お天道様というふうな考え方がなかった。