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村上春樹 『海辺のカフカ』(新潮社)

 15歳の少年が不思議な世界を自分で遍歴しながら心の成長を遂げていく物語。ギリシャ悲劇のエディプス王の物語が一番の下敷きになっている。

 2002年の発行年に一度読んでいるが、20年ぶりに読んだ今回はだいぶ印象が違った。前回は全体を強いセンチメンタリズムが覆っていると感じたのが、今回は気になる感傷フレーズはところどころにちらと目にするだけだった。それよりは上下巻900頁にちりばめられた比喩の巧みさに、あたりまえだが天才はやはり天才と思った。すれ違った瞬間に耳たぶを1mmほど切り取られたかのように感じる直喩、一つのパラグラフを読み終わった後1分ほど経ってストンと胃の中に落ちてくる隠喩・・・。

 たくさんの人物が出てくるが、それらの人物はことばではうまく説明できない不可解な行動をすることが多い。それは「ことばで説明しても行為の底にあるものを正しく伝えることはできない。本当の答えというのはことばにはできないもの」なのだからと村上は言う(下巻p413)。が、村上の小説を読みなれていない読者には「不可解」「わかりにくさ」と感じられるだろう。

 最終盤に出てくる、母(かもしれない)佐伯さんが少年カフカに告げる最後の言葉が僕の心に沁みた。「あなたに私のことを覚えておいてほしいの。あなたさえ覚えていてくれたら、他のすべてに人に忘れられてもかまわない」。3年前に亡くなった妻が、死の直前に僕に言った言葉だ。

 

主な登場人物

僕(田村カフカ

自立心・自制心に優れるが、反面、抑制的で孤独癖のある少年。小学6年の時、優れた彫刻家だった父親から何度も「お前はいつかその手で父親を殺し、母親と交わる」という呪いをかけられた(文庫版上巻p426)。エディプス王が受けた予言とまったく同じだ。その運命から逃れ、世界で一番タフな少年になるため、15歳の誕生日に家出を決意する。本名は「田村」で、「カフカ」はもちろん偽名である。もちろんフランツ・カフカからの借用だが、チェコ語カフカはカラスという意味もあるそうだ。

ナカタ(ナカタサトル)

もう一人の主人公。中野区に住む60代半ばの男性で、知的障害  があり、文字の読み書きができない。「ナカタは〜であります」「ナカタは〜なのです」と特徴的な喋り方をする。猫 探しを得意とし、猫と会話ができる。特異な自然現象などをしばしば予言する。

佐伯(さえき)

高松市で甲村記念図書館の館長をしている女性。50歳を過ぎている。19歳のときに自作した曲『海辺のカフカ』が大ヒットした。20歳の時に恋人を東京の大学紛争で殺されている。カフカは彼女のことを母親ではないかと思うようになる。彼女も同じ思いを持つ。

大島(おおしま)

高松の甲村記念図書館の司書。血友病患者にして性的少数者。泊まる場所のないカフカに「それなら、ここ(図書館)に泊まればいい」と言う。以後、カフカ少年と精神的に強く結ばれ、さまざまな助言をする。

ジョニー・ウォーカー

ウィスキーのラベルの人に扮した謎の人物。カフカ少年の家の近所で猫をさらって殺していた人物で、通称「猫殺し」とよばれている。その通り、何匹もの猫の腹を手術用メスで残酷に切り裂き、心臓を取り出して生食する。