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高島俊男 『中国の大盗賊』 講談社現代新書

中国の歴代王朝の創始者は、例外なく、自分の出身地を荒らしまわった「盗賊」・「流賊」が大きくなったものだという考え方で、一冊を通している。これは世界的定説でもあるのだが。

 この本では、元祖盗賊皇帝である漢の劉邦から稿を起こし、乞食坊主上がりの明の朱元璋、強いはずなのに負けてばかりいた明末の李自成、清末に宗教革命みたいなことから始めて太平天国という妙な国を作った洪秀全、そして最後に極めつけの盗賊皇帝である毛沢東の五人が選ばれている。毛沢東についてだけ著者の言っていることを少し紹介する。

 彼(毛)のやったことに、マルクス主義という国家哲学を強制して、国民のものを考える能力を奪ってしまったということがある。これは漢から清にいたる王朝が儒学儒教を国家哲学としたのに相当するが、その程度はずっときびしい。

 しかし一歩振り返って考えてみるとわたしは中国自体にマルクス主義を受け入れる素地があったのだと思う。それは中国人が「経典」を必要とする国民であるということだ。

 中国では、じつに2000年以上にわたって、「易」「書」「詩」「礼」「春秋」の五経が、この世のありとあらゆる事象に正しい解釈を与え、さらに行動の指針を与えてくれた。それが20世紀になって「打倒孔家」が叫ばれ、儒教が権威を失うと、中国人の心に空白が生まれた。その空白を埋めたのがマルクス主義である。つまり儒教そのものは否定されたが、真理を記した書物というよりどころを求める習性は急にはなくならなかったわけである。ちなみに中華人民共和国の建国後、マルクス主義の書物は「革命経典」と呼ばれることになった。やはり経典なのである。

……これくらいにするが、このテの本としてキワモノじみた表現が一切なく、非常に楽しく読んだ。