日本の中の朝鮮文化
黒潮と日本文化
岡本太郎 例えば伊勢神宮は、そもそも日本の皇室だけのものではないのではないか。沖縄のシャーマニズムと同じものなのじゃないのか。このあいだ式年遷宮をやったけれども、古い本殿の下には大きめの石ころだけがあった。沖縄のウタキと同じものだと思う。それがある時期から皇室の専有物になっただけの話なのじゃないか。
司馬遼太郎 石ころが地面からちょっと出ている。いかにも南方の古代信仰の匂いだね。
岡本 それから、先日NHK「ふるさとの歌まつり」というので秋田の男鹿半島の歌をうたっていたんだが、聞くとまったく朝鮮の歌だ。朝鮮の人の乗った船が黒潮の支流である対馬海流にのってしまって、裏日本のずっと北の方まで行ったんじゃないかしら。
司馬 朝鮮というより、北部朝鮮を含めたツングース族の歌の感じじゃないかな。
平安初期、有力氏族の三分の一は渡来系だった
上田正昭 『新撰姓氏録』という平安初期にできた書物がある。当時の平安京と周辺五畿内の有力氏族1182氏の系譜をまとめたものだ。それを神官系、皇族系、渡来系の三つに分けて編纂しているのだが、その中で渡来系の氏族がなんと全体の三分の一近くを占めている。
調べられた氏族は当時の上層階級だけだから、それ以外の中下層階級も入れれば、いかに渡来の人々が多かったかが想像できる。
司馬 万葉歌人の山上憶良も朝鮮からの帰化人だった。父親が渡来人だった。その憶良が遣唐使の一行に秘書官として随行している。そのころの遣新羅使や遣唐使のメンバーには、渡来系のメンバーがずいぶん加わっていたようだ。
関東地方にも渡来人の足跡は数え切れず
金達寿 ぼくはいま東京の調布市に住んでいるが、このあたりに渡来人が多くいたことはたくさんの資料や証拠がある。この「調布」という地名すら渡来人と深いかかわりがある。調布は多摩川の川べりにある街だが、川べりだからむかしはたくさんの麻が生えていた。その麻を渡来人が刈り取って麻布に織り、それでもって「調」という税金を現物納付した。これが調布という地名のもとになったのだ。
近くには厳島神社というのもあって、やはり渡来人である金子氏の祖先が祭られている。また、2,3キロ歩くと高麗神社という社があるが、ここには(高麗国ではなく)高句麗国の貴人の廟が今も残っている。