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司馬遼太郎 『風塵抄』 中公文庫

 1986年から89年まで毎月1回、第一月曜に産経新聞に連載した短いエッセイ集。一回ごとの文章は短くても、連載が長期にわたるので、全部をまとめて一冊にして読むと、司馬の全身像がよく見えてくる。

 数例をあげる。

 ダーウィン自然淘汰論を言ったが、京都鴨川には体力の違うヒラタカゲロウが4種も流速の違う所に棲み分けているという「今西錦司理論」との関係はどうなっている(p131)。

 日本にはなぜ人名が多いのか。日本はもともと姓の種類が多いのに加えて、男の名の場合、ふつう漢字二個を自由に組み合わせれば作れるため、ほとんど無制限かつ野放図に製造できる。これに対しヨーロッパでは姓の種類がじつに多い代わりに、名の種類がうんと少ない。それは、たいてい聖書に出てくる名か聖人の名をつけるから(139)。

 中国では、共産党人民解放軍を問わず、自分の管轄下にある人々を”私のもの”としてみる感覚がつよい。過去ではそれでもよかったのだが、現代では”公”という最高の価値基準が中国でも普遍化していて、そのように、人類規模でも”公”を掲げるひとびとが天安門広場に集まったのである。習近平が最も気にしているのはこの状況である(p201)。

 オランダでは土地のほとんどは国有である。だからそれを国から借りれば、そこで遊牧までできる(p225)。

 超巨大な版図を持つ旧ソ連や現代の中国では、軍隊と対内諜報機関による独裁でしか国家を維持できなくなっている(p316)。等々‥‥、文章が例によって平易なのがとても助かる。