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永井荷風 『すみだ川』(全集第五巻・岩波書店)3/5


 1911年作。江戸末期の情緒が色濃く残っている隅田川沿い、芸者屋、しもたやなどがたて込んだ界隈が舞台。長吉の母親は常盤津の師匠をして生計を立てている。長吉は、幼なじみのせんべい屋の娘お糸が好きでたまらない。二人は毎日、浄瑠璃、三味線、芝居小屋、座敷着の遊女、相愛する男女の入水・・・・・・といった、まさに滅び行こうとしている花街の空気にのどまで浸かりながら、街の空気の臭気も香気も意識にのぼせることは何もなく、もうすぐ大人になろうとしている。
 お糸は子供のころから芸事、習い事との相性がよく、口のきき方もハキハキして、近いうちに浅草の芸者屋に半玉として出ることが決まっている。 長吉は、母親が「この子だけは堅気の官員さんに」と、つましい生活費を工面しながら旧制高校に行かそうとしているが、本人はお糸と一緒になって、自分も好きな遊芸の道でこの世を渡りたいと思っている。当然、学校の勉強はかんばしくない。
 お糸は浮気な女でもなんでもなく、長吉のことはちゃんと考えている。しかし今はそんな色恋ごとよりは早く花街で一人前になって有名になることが大事。だから浅草あたりを一緒に歩いても、出会う芸者の着物や羽織の見事なことばかりを気にして、長吉の気持ちにはまったく入ってきてくれない。長吉が長い手紙をまじめに書いても、返事の来るのはずいぶん先になってから、それも送った手紙の返事とは関係のない着物のことや食べ物や店での客のことだけが詳しく書いてあったりする。それでいて「長吉は二の次」ということでは決してないのだが、お糸しか頭にない長吉はただひたすら「どうせ俺なんて・・・・」と絶望を深めてしまい、最後には自殺まがいのことをする・・・・・・。

 ストーリーはそんなところでまあいいのだが、この『すみだ川』を書いた動機を永井荷風自身が別本の『序』として四年後に書いている。今どきの作家はもうこんなに直裁には書かないような真情を吐露している。荷風は惜しんでも戻らない春の隅田の岸に立ちつくしながら、何作もの滅亡、退嬰、世紀末、デカダン小説を書きつづけた。
 p61-2
 わが生まれたる東京の市街に、(欧米から帰国後の)疲れたる歩みを休めさせたところは矢張りいにしえの唄に残った隅田川の両岸であった。隅田川はその当時目の当たり眺める破損の実景と共に、子供の折に見おぼえた朧なる過去の景色の再来と、・・・・さまざまの伝説の美とを合わせて、言い知れぬ音楽の中に自分を投げ込んだのである。
 既に全く廃滅に帰せんとしている昔の名所の名残りほど、自分の情緒に対して一致調和を示すものはない。自分はわが目に映じたる荒廃の風景とわが心を痛むる感激の情とをまとめて、ここに何ものかを創作せんと企てた。これが小説『すみだ川』である。さればこの小説一篇は・・・・・たえず荒廃の美を追究せんとする作者の止みがたき主観的傾向が、隅田川なる風景によってその抒情的傾向を外発さすべき象徴を求めた理想的内面の芸術とも言い得よう。
 さればこの小説中にあらわされた幾多の叙景は篇中の人物と同じく、時としては人物以上に重要なる分子として扱われている。いな、篇中の人物は・・・・・隅田川の風景によって偶然にもわが記憶の中によみがえり来たった遠い過去の人物の、まさに消え失せんとする面影を捉えたに過ぎない。
 作者は、その少年時代によく見慣れたこれら人物に対していかなる愛情と懐かしさとを持っているか、それは言うを俟たぬ。今年花また開くの好時節に際し、都下の新聞紙は隅田の桜樹の枯死するもの多きを説く。新しき時代はついに全く破壊の事業を完成し得たのである。